面、茫々の萱葦原。一筋道だから道に迷う筈もないのだが」
 と、呟いていたが、それからまた一丁ばかり堤の上を歩いて行くと、赤松林の向うに緑青色《ろくしょういろ》の唐瓦《とうが》を置いた棟の反《そ》った支那風の建物が見えて来た。檐《のき》に風鐸《ふうたく》をつるし、丹塗《にぬり》の唐格子の嵌《はま》った丸窓があり、舗石の道が丸く刳《く》ッた石門の中へずッと続いている。源内先生は、
「おッ、あれだな」
 と呟きながら、呆気《あっけ》に取られてその方を眺めていたが、
「杭州《こうしゅう》から福県《ふくけん》のあたりを荒し廻った海賊の五島我馬造《ごとうがまぞう》が隠居所に建てた唐館だそうだが、それにしても酔狂にも程がある。どちらを見ても葦ばかり、一向眺めとてもないこんな湿地に何のつもりであんなものを押ッ建てたのだろう。海賊なんてえものは変ったことをするものだ」
 と、独言をいっていたが、急に首を振り、
「いやいや、そうじゃない。堤を越えるとすぐ淀川。まわりに人家とてもないのだから、どんな芸当でも出来そうだ。夜に紛《まぎ》れて上荷《あげに》船で密貿易の品を運び上げ、よくないことでもしていたのに違い
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