い顔付にならはりまして、間もなくそそくさとお出かけになられましたが……」
 源内先生は、セカセカと立ち上って、
「ご亭主、わしはな、急な用事でちょっと出かけて来るから、わしの荷物とこの供を預って貰います。では、ちょっと」
 挨拶をするのももどかしそうに前のめりになって津国屋の門を飛出して行った。
 それから二刻《ふたとき》ばかり後、源内先生は淀川堤に沿った京街道を枚方《ひらかた》の方へセッセと歩いて行く。何か余程気にかかることがあると見えて、時々思い出したようにブツブツと独言《ひとりごと》をいうかと思うと、急に立止って腕組をする。見るさえ気の重くなるようなようすである。
 一面の萱葦原《かやあしはら》で長雨の後のことだからところどころ水浸しになり、葦の間でむぐっちょが鳴いている。
 川の向うには緩《ゆる》い丘の起伏がつづき、吹田《すいた》や味生《みしょう》の村々を指呼《しこ》することが出来る。
 源内先生は、堤の高みへ上り手庇《てびさし》をして、広い萱原《かやはら》をあちらこちらと眺めながら、
「先刻《さっき》、聞いたところでは、もうそろそろ蘇州庵というのが見えねばならぬ筈だが、ただ一
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