とだすさかえ、どうしようもござりませんで、ああしてわたくしどもでお預りしてあるのでござります。……あなたさまも、あの、やッぱり長崎の方から、……」
「いや、わしは江戸から来たのだが、一寸《ちょっと》利七さんに所用があってお寄りしたようなわけだッたんだが、居ないというんじゃどうしようもない。先月の十五日に出たッ切り帰らない人をここで何時《いつ》までも待っているわけにもいくまいから、ちょっと一と筆書残して行くことにしよう」
 源内先生は、矢立と懐紙を取出して筆を走らせているうちに何を思ったか筆を止め、自分の額を睨め上げるようにしながら何事か熟思する体だッたが、急に唸るような声で、
「うむ、こりゃいかん。よもやとは思うが、ことによればことによる。ひょっとすると……」
 わけの判らぬことを独《ひとり》でグズグズ言っていたが、主人の方に膝を向け変え、
「唐木屋が出て行くとき何か変ったことでもありませんでしたかな」
 主人は、嚥《の》みこめぬ顔で、
「へえ、格別、変ったこともござりませなんだが。……朝の四ツごろ使屋《つかいや》が封じ文を持って来まして、唐木屋はんはそれを読むと、急にこう厳《き》つウ
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