の気を沈ませるのはこのことなのである。
 お鳥の姉婿《あねむこ》、つまりお鳥の義兄が商用で長崎から大阪へ上り、いま川口の宿にいる。お鳥が陳東海に殺されたことはもう早文《はやぶみ》で届いている筈だが、又もや出尻伝兵衛に引張り出されてこの事件に立合った関係上、義兄《あに》の唐木屋利七にお鳥の無残な最期の様子《さま》を物語らなければならないことが情けない。利七は義妹のお鳥を自分の血を分けた妹のように可愛がっていたのだから、どんなにか悲しむかと思うと、気が滅入って思わず足の歩みものろくなる。日頃軽快洒脱な源内先生が山科街道の砂埃を浴びながらトホンとした顔で歩いていられるのは、こういう次第に依ることだった。


          唐館蘇州庵《とうやかたそしゅうあん》の竹倚《チョイ》

 大阪、川口の賑い。
 菱垣番船《ひしがきばんせん》、伏見《ふしみ》の過所船《かしょぶね》、七村の上荷船《うわにぶね》、茶船、柏原船、千石、剣先《けんさき》、麩粕船《ふかすぶね》。
 艫《とも》を擦り、舷《ふなべり》を並べる、その数は幾百艘。檣《ほばしら》は押並び押重なって遠くから見ると林のよう。出る船、入る船、
前へ 次へ
全45ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング