、四人でそれを永田馬場まで担いで行った、……その時には、象の中に死体なぞは入っていなかった。……死体が入ったのは、今朝の暁《あけ》六ツ。担ぎ出す少し以前。……なア目ッ吉、痩せていても女の身体は十二、三貫。これだけの重さが増えているのに、四人がそれに気がつかねえというはずはなかろう。……象の脚に入っていた四人が、みな、この事件の同類だという証拠だ」
と、言って、小泉と神田に向い、
「いま言ったような次第で、あっしらは四人をしょっぴいてこれから番所で下温習《したざらえ》をいたしますから、旦那方は、どうかお役所でご休憩願います」
伝兵衛は、六人の追廻しにどんな人間がきても象のそばへ近寄らしちゃいけねえと、しっかりと念を押して、目ッ吉と二人で葭簀から出る。
生きていた里春
仙台平《せんだいひら》の袴に麻上下《あさがみしも》、黒繻子前帯《くろじゅすまえおび》の御寮人《ごりょうじん》、絽《ろ》の振袖に錦の帯。織るような人波を押しわけながら、伝兵衛は声をひそめ、
「町会所では言わなかったが、里春は、象の腹の中にいたときには、まだ生きていたんだぜ」
「えッ」
「だってそうだろうじゃないか。どう張抜いたって日本紙《にっぽんし》に糸瓜《へちま》。二刻前に殺されたものだとしたら、梨の木坂を降りるまで血が沁み出さねえことはねえはず。これから推すと、里春はお練りがはじまってしばらく経ってから象の中で殺されたんだ」
目ッ吉は、ひッ、と息をひいて、
「もちゃげるわけじゃありません、こりゃア、どうも凄いお推察《みこみ》、恐れ入りました。……仰言《おっしゃ》る通り、如何にもそうでなくっちゃ筋が通らねえ。……が、それにしても、渡御《とぎょ》の道筋の両側に隙間なく桟敷を結って、何千という人目がある。しかも、真ッ昼間。あれだけの人目の中で外側《そと》から槍で突くにしろ刀で刺すにしろそんな芸当は出来そうもねえ。……だいいち、象の脇腹には突傷はおろか、下手《へた》に窪んだとこさえありゃしねえんです。仰言ることは如何にも納得しましたが、とすると、いったいどんな方法で殺ったものでしょう」
「さア、そこまでは俺にもわからねえ。いずれ、象の胎内に何かからくり[#「からくり」に傍点]があるのだと思うが……」
と、言いながら、懐中《ふところ》から三椏紙《みつまたがみ》を横に綴じた捕物帖を取出し、
「……象の右の前脚に入ったのは、美濃清で、左脚が植木屋の植亀《うえかめ》。……後脚の右が麹町十三丁目の両換屋、佐渡屋の忰《せがれ》の定太郎《さだたろう》。……同じく後脚の左が、箪笥町《たんすまち》の担呉服《かつぎごふく》、瀬田屋藤助《せたやとうすけ》この四人。……なア、目ッ吉、仮に、象を背負《しょ》って歩きながら里春を殺るとしたら、どいつがいちばん歩《ぶ》がいいと思う」
「……象の脚の下から担いで行く四人の脚が見えているんだから、槍か何かで突くとしても、まず、前脚の二人は覚束《おぼつか》ない。こういう芸当が出来るとすれば、後脚の右へはいった佐渡屋の定太郎と、左へはいった瀬田屋藤助」
「尻馬に乗るわけじゃないが、俺の見込みも、大体、その辺だ」
番所までは、そこからほんのひと跨《また》ぎ。
入口の土間の床几に、町内の世話役らしい年配が二人。麻上下の膝へ花笠をひきつけて気遣《きづか》わしそうな顔つきで控えている。
伝兵衛が入って来たのを見ると、もろともに起ちあがって、
「土州屋さん、年に一度の祭に、こんなくだらねえ騒ぎを仕出かして、面目次第もありません」
「何といったって、ひと一人死んだことだから、穏便というわけにも行きますまいが、そこを、ひとつ、何とか手心を……」
伝兵衛は、頷いて、
「あっしにしたって、何も出ない埃まで叩き出そうというんじゃない。こういうときには針ほどのことにも尾鰭《おひれ》がつくもんだから、出来るだけ内輪にやる気じゃアいるんですが……」
「あなたがそう仰言ってくださると麹町十三丁がホッと息をつきます。どうか、なにぶん……」
「……それで、あなた方が町会所へお寄りになったということを聞きましたから、まア、何といいますか、四人の身性《みじょう》について、引ッ手繰《たぐ》られるお手数だけでも省けるようにと思いまして、倖《さいわ》い、四人のことなら、たいがいわれわれ二人が一伍一什《いちぶしじゅう》存じておりますから、知っておりますだけのことは逐一申上げるつもりで薬鑵《やかん》を二つ並べてここでお待ちしていたようなわけで……」
伝兵衛は、ちょっと手を下げて、
「それは、どうも有難うございました。こちからお願い申さなければならないところを」
磨き檜《ひのき》の板壁に朱房《しゅぶさ》の十手がズラリと掛かっている。その下へ座蒲団を敷いて、さて、
「早速ですが、美濃屋清吉というのは、どういう素性の男なんで」
甚兵衛という年嵩《としかさ》の方が、頷いて、
「はい、あなたもご存じでいらっしゃいましょう、先代の美濃清はそれこそ、譬《たと》え話になるような頑固な名人気質。曲ったことの嫌いな竹を割ったような気性の男でしたが、これが三年前に死にまして、今は忰の清吉の代になって居ります。……依怙贔屓《えこひいき》になりますから、ありようをざっくばらんに申上げますが、どちらかといえば、鷹に鳶《とんび》。仕事は嫌いではなさそうですが、ちょっとばかり声が立つもんだから清元《きよもと》なんかに現《うつつ》を抜かして朝から晩まで里春のところに入り浸《びた》り。半分は評判でしょうが、毎朝小ッ早く出かけて行って、里春の寝てるうちに火を起すやら水を汲むやら、大変な孝行ぶりだということです」
「この、担呉服の瀬田屋藤助というのは」
「ずっと京橋の金助町《きんすけちょう》におりまして、麹町にまいりましたのはついこの春。酒も飲まず、実体《じってい》な男というきり、くわしいことは存じませんです」
「植亀の方は、どういうんです」
「これは里春の弟子というよりも、むしろ師匠格。吉原の男芸者《おとこげいしゃ》、荻江里八《おぎえさとはち》の弟子で、気が向くと茶を飲みに行くくらいのもの。ほかの狼連とはすこしちがうんです。庭師のほうもいい腕で、黒田さまの白鶴園《はっかくえん》を一人で取仕切ってやったくらいの男なんです」
「じゃア、最後の佐渡屋の忰のほうをひとつ」
「定太郎は佐渡屋の相続人《あととり》なんですが、親父はすこし思惑をやり過ぎるんで、この節、だいぶ火の車で、こりゃまア、世間の評判だけでしょうが、あわや店仕舞いもしかねないほどの正念場ということです。……今度|結城《ゆうき》の織元で、鶴屋仁右衛門《つるやにえもん》といって下総《しもうさ》一の金持なんですが、その姉娘と縁組ができ、結納がなんでも三千両とかいう話。この娘が見合かたがたお祭見物に江戸へ出てきて二、三日前から佐渡屋に泊っているんだそうです」
「なるほど。……それで、定太郎と里春はいったいどんな経緯《いきさつ》になっているんです。何か入組んだことでもあるのじゃありませんか」
折目高《おりめだか》に袴を穿いた、尤もらしい顔つきをした方が、甚兵衛に代って、
「この方は相模屋さんが、よくご存じないようだから、わたくしが代って申しましょう。……あんなのを悪縁とでも言うのでしょうか、里春はもと櫓下《やぐらした》の羽織で、春之助《はるのすけ》といったら土州屋さんもご存じかも知れない。評判の高かったあの松葉屋《まつばや》の春之助のことです。……七つも齢下の定太郎にじぶんの方から首ったけになって二進《にっち》も三進《さっち》もゆかぬようになり、商法の見習で定太郎が大阪へ行けば大阪へ、名古屋へ行けば名古屋といったぐあいに、あっちこっちしてる間じゅうこの五年越し影のようについて廻り、定太郎の年季が終って江戸へ帰って来ると、十三丁目と背中合せの箪笥町で清元の師匠をはじめたんです。……気の毒だといったらいいのか馬鹿だといったらいいのか、わたくしには何とも言えません。……佐渡屋は、四谷、麹町でも名の通った旧弊《きゅうへい》な家風。じぶんの相続人に五年も他人の飯を食わせて商法の修業をさせるほどの親父なんだから、山ッ気のほうは兎も角として、芸者の、師匠のとそういった類をどう間違ったって、家へなぞ入れようはずがない。そりゃア、里春のほうでも百も承知なんだが、矢ッ張り諦めきれないと見える。……あまりいじらしくて、この話ばかりはまだ誰にもしたことはなかったんですが、ちょうど二十日ほど前、町内に寄合があってその帰り途、佐渡屋の前を通りかかって、何気なくひょいと門口を見ますと、戸前に大きな犬のようなものが寝ている。……何だろうと思って、そっと近寄って見ると、鳴海絞《なるみしぼ》りの黒っぽい浴衣を着た里春が、片袖を顔へひき当てるようにして檐下《のきした》に寝ているんです。……酔ってるのかと思って、肩へ手をかけて揺って見ると、酔っているんじゃない、泣いているんです。……こんな地面へ寝転がっていると夜露《よつゆ》にあたるぜ、と言いますと、ああ、加賀屋の旦那ですか、手放しでお聞きにくいでしょうけど、あちきは毎晩ここで寝ているんです。……一尺でも定太郎に近いところで寝たいと思いましてねえ、どうぞ笑ってくださいまし……」
「そりゃ、気の毒なもんだ。……それで、定太郎のほうは、どうなんです」
加賀屋は、苦っぽろく笑って、
「土州屋さん、これはあたしが言うんじゃありません。いくら何でも、頭を禿げらかしたあたしがこんなことを言うわけがない。これは、世間の評判です、どうか、そのつもりでお聴きください。……世間じゃ、定太郎を馬鹿野郎だと言っています。馬鹿も馬鹿も大たわけ。……なるほど、相手はしがない清元の師匠。織元のお嬢さんとは比べものにはなりますまいが、人間の真情は金じゃ買われない。この世で、何が馬鹿だといって、人情を汲み取れねえ奴ぐらい馬鹿はありません……」
気が差したように、禿上った額をツルリと撫でて、
「こりゃアどうもくだらねえ無駄ッ話を……。尤も、定太郎のせいばかりじゃない。子供のときから親父のいいなり次第。張りのねえ男で、吝《しみ》ったれが盆栽を弄《いじ》るようにすっかり枝を矯《た》められてしまったせいなんでしょうが……」
「それほど嫌っていながら……」
「ええ、それというのは、里春が怖いからなんです。心の中じゃ身顫《みぶる》いの出るほど嫌ってるんだが、あまり素気《そっけ》なくすると許嫁《いいなずけ》のところへ暴れ込まれ、せっかく纏りかけた縁談をぶち毀《こわ》されないものでもないと思って、誘われれば嫌々ながら出かけて行くといったわけあいらしいんです」
火明りに映った顔
源内先生は、ぶつくさ。
内心は、それほど嫌でもなさそうなんだが、何かひと言いわないとおさまらないのだと見える。
年に一度のお祭だというのに、今まで家で何をしていたのか、頭から木屑《きくず》だらけになり、強い薬品で焼焦げになった古帷子《ふるかたびら》を前下りに着て、妙なふうに両手をブランブランさせながら、
「ねえ、伝兵衛さん、実に、わしは迷惑なんだ。何かあるたびに、ちょいと先生、ちょいと先生……。わしはお前さんのお雇いでもなければ追い廻しでもない。ひとがせっかく究理の実験をしているところを騙討《だましう》ちみたいに連れ出して、象の腹の中へ入って見てくれとは何事です。嫌だよ、断わるよ。こんなボテ張りの化物みたいなものの胎内潜りなんか、真ッ平ごめん蒙るよ」
伝兵衛の方は、すっかり心得たもので、決して先生に逆《さから》わない。
「ああ、そうですか。嫌なら嫌でようござんす。お忙しいところをこんなところへ引き出して申訳ありませんでした。……お詫びはいずれゆっくりいたしますが、あっしは気が急《せ》いておりますから、じゃ、これで……」
源内先生、狼狽《うろた》えて、
「まア、そう素気《すげ》ないことを言うな。お前はひと交際《づきあい》がわるくて困る。いったい、この象がど
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