しゃく》に触る。
 真中の窪んだしゃくった面で、鉢のひらいた福助頭《ふくすけあたま》。出ッ張ったおでこの下に、見るからにひとの悪るそうなキョロリとした金壺眼《かなつぼまなこ》。薄い唇をへの字にひき曲げ、青黒い沈んだ顔色で、これが痩せこけた肩をズリ下げるようにして、いつも前屈みになってセカセカ歩く。ちょうど、餓鬼草紙《がきぞうし》の貧乏神といった体《てい》。
 伝兵衛のほうは、綽名《あだな》の通り出ッ尻で鳩胸。草相撲《くさずもう》の前頭とでもいった色白のいい恰幅《かっぷく》。何から何まで反対なので、二人が並ぶと、実以《じつもっ》て、対照の妙を極める。
 こんなことも大いに原因している。向うでも嫌な奴だと思っているのだろうが、こちらでも気に喰わねえと、思わず眉が顰《しか》む。そうなくても、敵同志のような南と北。しっくりゆこうはずがないので。
 葭簀《よしず》を分けるようにして入って行くのを、象の後脚《うしろあし》のところに蹲《しゃが》んでいた重右衛門、首だけこちらへ捩向《ねじむ》けて、眼の隅から上眼で睨め上げ、ふふん、と鼻で、笑った。
「おお、出ッ尻か。この節ア、だいぶと、精が出るの」
 近日|俄《にわ》か仕込みの同心言葉。気障《きざ》っぽく尻上りにそう言って、袴《はかま》の襞《ひだ》を掴みながらのっそりと起《た》ち上る。
「この月は北番所《きた》の月番だが、何といっても消口《けしくち》をとったのは俺のほうが先き。気ぶっせいかも知れねえが、常式通り相調べということにしてもらおうか。知ってもいようが、平河町から麹町十三丁は、むかしの俺の縄張り。お前だって仁義ということを知っているだろう、なア、出ッ尻。……ききゃア、この頃、平賀源内という大山師を担《かつ》ぎ出して、妙に、しゃくったような真似ばかりするが、あんまり方図《ほうず》もなくのさばると、いずれ、いい眼は見ねえぜ。なア、出ッ尻、気をつけるほうがいいや、出ッ尻」
 出ッ尻を売りに来やしめえし、出ッ尻、出ッ尻と気障な野郎だと思ったが、どうせ成上りの俄か同心、こんな馬鹿と正面切って渡合うほどのこともあるまいと、そこは、さすがに蜀山人太田南畝《しょくさんじんおおたなんぽ》先生の弟子だけあって、多少気が練れている。あざとく絡《から》んでくるのを、軽くいなして、伝兵衛、
「誰かと思ったら、これは戸田先生。先に手がつけば、相調べになることは昔からのきまり。そのご挨拶には及びませんのさ。しかし、どちらが落《おち》を取るかは互いの腕次第」
 重右衛門は、いよいよ以て苦ッ面になり、
「腕たア、撞木《しゅもく》の腕のことか。その腕じゃ、ゴーンと撞《つ》いても碌な音《ね》は出なかろう、何を吐かしやがる。……まア、そんなことはどうでもいいや。おい、御出役、お前《めえ》のくるのを今迄|痺《しび》れを切らして待っていたんだ。顔の揃ったところで、早速、改めにかかろうじゃねえか」
「おだてちゃいけません。あっしは御出役でも何でもねえ、あなたとちがって、ただの御用聞。下調べは如何《いか》にもあたしが手掛けますが、何といってもこんな稀有《けう》な事件。この象を腑分《ふわけ》したら、どんな化物《ばけもの》が飛び出すか知れたもんじゃねえ、御出役のこないうちに軽率《かるはずみ》に象に手をつけるわけにはゆきません」
 象のそばに寄って、じぶんの身体を柵にして、油断なく立構《たちかま》えているところへ、ドヤドヤと北番所《きた》の出役。
 与力|小泉忠蔵《こいずみちゅうぞう》以下、控同心《ひかえどうしん》神田権太夫《かんだごんだゆう》、伝兵衛の下ツ引[#「下ツ引」はママ]、目ッぱの吉五郎、一名目ッ吉、御用医者の田沢菘庵《たざわじょうあん》、ほかに、追廻しが六人。物々しい出役。
 余談だが、神田権太夫というのは、後年、例の谷中延命院《やなかえんめいいん》の蓮花往生《れんげおうじょう》。尻の下へ鏡を敷いて蓮の花の中へはいり、下から槍で突かせて大見得を切ったあの名同心。目ッぱの吉五郎のほうは、享和《きょうわ》三年、同じく延命院の伏魔殿を突きとめ、悪僧|日潤《にちじゅん》を捕《と》って押えたお手先。これで、北番所《きた》の名題《なだい》どころが全部顔が揃ったわけ。
 神田権太夫は、葭簀《よしず》のそばに腕組みをして突っ立っている重右衛門《じゅうえもん》をジロリと尻目にかけ、ツカツカと象の胸先のほうに寄って行って、血の滲《にじ》み出している辺《あたり》をツクヅクと眺めていたが、そばに引添っていた菘庵のほうへ振りかえり、
「先生、嗅いただけでははっきりしたことは言えませんが、これは、人間の血じゃないでしょうか。犬猫の血なら、もうすこし毛臭《けくせ》えはず」
 菘庵は、指先で血を取って、指頭《しとう》で捻って小首をかしげていたが、急にひき緊《しま》った顔つきになって、
「この粘り加減では、どうやら人血」
「うむ」
「仮に、体内で死んでいるのが犬猫なら、こうまで夥《おびただ》しい血の香はいたさぬはず。この葭簀へ入った途端、プンと血の香がいたしましたことから推しますと、象の腹中には相当多量の血が溜っているのだと思われます」
「ご尤も」
 小泉忠蔵は、引きとって、
「菘庵先生のお推察《みこみ》通り、もしこの象の中に人間が死んでおるのだとすれば、これは何とも奇ッ怪。何のためにかようなところへ死体などを塗込んだものであろう。……押問答をしている場合ではない。何はともあれ、早速、象の腹をあけて見ることにいたそう。……伝兵衛、なるったけ象を損じないようにして腹をあけて見ろ」
「ようございます」
 すぐそばが、外麹町《そとこうじまち》、や組の番屋。追廻しが三、四人飛び出して行って、竹梯子《たけはしご》に鳶口《とびぐち》、逆目鋸《さかめのこ》、龕燈提灯《がんどうぢょうちん》などを借りて戻ってくる。
 木枠といっても、桐に朴《ほう》の木をあしらったごく軽いもの。伝兵衛、梯子でのぼって行って象の左の脇腹からすこし上った辺を逆目鋸で挽《ひ》きはじめたが、骨組さえ挽切れば、後は胡粉と膠《にかわ》で固めた日本紙。挽くほどもなく肩まで入るほどの穴がパックリと黒い口をあける。
「おい、龕燈」
 穴から龕燈を差入れ、象の胎内を照しつける。
 見るより、伝兵衛、アッと叫び声をあげた。
「象の腹の中に若い女が死んでいます」
 麻の葉の派手な浴衣《ゆかた》に、独鈷繋《とっこつな》ぎの博多帯、鬘下地《かつらしたじ》に結った、二十五、六の、ゾッとするような美しい女が、浴衣の衿元から乳の上のあたりまで露出《むきだ》しにしたひどく艶めいた姿で、象の下ッ腹の窪みにキッチリ嵌込《はめこ》むようになって死んでいる。左の乳の下がドップリと血に濡れて。
 薄くあけた切《きれ》の長い一重目《ひとかわめ》の瞼の間から烏目《くろめ》がのぞき出し、ちょっと見ると、笑っているよう。
 匕首《あいくち》かなんかで一突きに刳《えぐ》られ、あッと叫ぶ間もなく縡《ことき》れたのにちがいない。この穏《おだや》かな死顔を見ると、その辺の消息が察しられるのである。
 それッ、というので、象の胸先を縦に挽き切り、下ッ引が四人がかりでソロソロと死体を引出す。
 地べたへ菰《こも》を敷き、象の腹の中にいた通りのかたちに横《よこた》える。
 朝の光で見ると、一段と美しい。透き通るような白い手を胸の傷口のあたりへそっとのせ、空へ眼を向けてホンノリと眼眸《まなざし》を霞ませている。着付でひと眼で知れる。堅気ではない。師匠か、お囲いもの。
 菰へ膝をついて、熱心に検証している菘庵へ、伝兵衛、
「先生、御検案は。……殺されてから、大体どのくらい時刻《とき》が経っておりましょう」
「何しろこの暑気《しょき》。それに、風の通さぬ張物の中。はっきりしたことは申しかねるが、まず、ざっと今から二刻《ふたとき》から二刻半《ふたときはん》ぐらいまでの間……」
「すると、大凡《おおよそ》、白むか白まぬかのころ」
「まずその見当。……が、いまも申した通り、こういう情況では、死体の腐敗が意外に早いかも知れぬから、きっぱりした断定は下されぬ」
 人垣のうしろから伸びあがって死体を覗き込んでいた、重右衛門、
「おッ、これは、清元里春《きよもとさとはる》……」
 と呟き、何か思い当ることがあったらしく、
「……なアるほど、そういうわけか。これで当りがついた」
 あとは聞えよがしの高声、
「飛んだお邪魔。なにとぞ、ごせっかく。ずいぶん精を出して、犬骨を折って鷹に取られねえよう、ご用心」
 憎まれ口をきいて、いつものように前屈みになってセカセカと出て行った。
 目ッぱの吉五郎は、忌々《いまいま》しそうに重右衛門の後姿を見送りながら、伝兵衛に、
「いま重右衛が呟いていたのを聴くと、これは清元里春という女だそうですが、いずれ、何か祭に絡んだ遺恨でもあったものと思われますが……」
 と言いながら、小柄な身体を二つに折るようにして伝兵衛のそばへ蹲《うずく》まり、
「どんなことがあったって、死骸を脚から腹へ送り込むというわけにはいかないから、たぶん、どこかへ穴をあけてそこから死骸を放りこみ、穴をもとの通りに塞いだのにちがいねえと思いますが、あなたのお推察《みこみ》はいかがです」
 伝兵衛は、頷いて、
「俺もさっきからそのことを考えていたんだ。象の周囲《まわり》をグルグル廻って見たが、胴も腹も古い細工で、塗直したようなところも見当らねえ。……もしそんなところがあるとすれば、あの段通《だんつう》の下。……おい、目ッ吉、象の肩にかかっているあの段通を引ン捲《めく》って見ようじゃないか」
「ええ、やって見ましょう」
 段通に双手《もろて》をかけて力任せに引き剥ぐと、ちょうど象の背中の稜《みね》からすこし下ったあたりに、ひとが一人はいるくらいの大きさに胡粉の色が変ったところがある。
 伝兵衛は、目ッ吉と眼を見合せてから梯子をのぼって色の変ったあたりへ掌《てのひら》をあて、眼を近づけてためつすがめつしていると、真上から照りつける陽《ひ》の光で胡粉の中に何かキラリと一筋光るものがある。指で摘んで見ると、それは頭髪《かみのけ》。
「おい、目ッ吉、ここに頭髪が一本|梳《す》きこまれているが、これア古い時代のもんじゃねえ、昨日今日のもの」
 目ッ吉は、含み笑いをして、
「ねえ、親方、それアたぶん美濃清《みのせい》の頭髪でしょう」
「どうしてそんなことが知れる」
「だって、こんな手際な仕事は素人には出来ません。……この通り、糸瓜《へちま》で形をつけ、胡粉で畝皺《うねじわ》までつくってある。……そればかりじゃない。下手な人間などはどんなことがあったって象の背中へなんぞへのぼらせない。ところで、美濃清なら、手直しとかなんとか言やア、大勢の見てる前で大っぴらにどんな芸当だって出来るんです」
 伝兵衛は、首を振って、
「いやいや、ここを塗直したのは美濃清かも知れねえが、それだけのことで美濃清が里春を殺《や》ったと決めてかかるのはどうだろう。……この象は昨日の日暮れ方永田の馬場へ持って行って葭簀囲いにし、朝鮮人になる町内の若い者が二十人ばかり、象のまわりでチャルメラを吹くやら、鉄鼓《てっこ》を叩くやら、夜の明けるまで騒いでいた。いかな美濃清でも、あれだけの人数がいる中で人を殺し、その死体を象の中へ塗込めるなんてえ芸当は出来そうもない」
「それじゃ、いったい、どういうんです。菘庵先生の話じゃ、殺されてから二刻か二刻半という御検案ですが、そうだとなりゃアこれはまるっきり雲を掴むような話」
「さっき重右衛門が、いやに北叟笑《ほくそえ》んで駈け出して行ったが、たぶん、お前の推察《みこみ》とおなじに美濃清をしょッぴくつもりなんだろうが、俺の推察《みこみ》はすこしちがう」
「すると……」
「美濃清一人じゃ、この芸当は出来まいというのだ。……かならず、二人三人と同類がある」
「へえ」
「つもっても見ねえ、あの象は十四日の夕方まで伝馬町の火避地《ひよけち》に飾ってあったんだが、渡初《わたりぞ》めがはじまって
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