「早速ですが、美濃屋清吉というのは、どういう素性の男なんで」
 甚兵衛という年嵩《としかさ》の方が、頷いて、
「はい、あなたもご存じでいらっしゃいましょう、先代の美濃清はそれこそ、譬《たと》え話になるような頑固な名人気質。曲ったことの嫌いな竹を割ったような気性の男でしたが、これが三年前に死にまして、今は忰の清吉の代になって居ります。……依怙贔屓《えこひいき》になりますから、ありようをざっくばらんに申上げますが、どちらかといえば、鷹に鳶《とんび》。仕事は嫌いではなさそうですが、ちょっとばかり声が立つもんだから清元《きよもと》なんかに現《うつつ》を抜かして朝から晩まで里春のところに入り浸《びた》り。半分は評判でしょうが、毎朝小ッ早く出かけて行って、里春の寝てるうちに火を起すやら水を汲むやら、大変な孝行ぶりだということです」
「この、担呉服の瀬田屋藤助というのは」
「ずっと京橋の金助町《きんすけちょう》におりまして、麹町にまいりましたのはついこの春。酒も飲まず、実体《じってい》な男というきり、くわしいことは存じませんです」
「植亀の方は、どういうんです」
「これは里春の弟子というよりも、むしろ師匠格。吉原の男芸者《おとこげいしゃ》、荻江里八《おぎえさとはち》の弟子で、気が向くと茶を飲みに行くくらいのもの。ほかの狼連とはすこしちがうんです。庭師のほうもいい腕で、黒田さまの白鶴園《はっかくえん》を一人で取仕切ってやったくらいの男なんです」
「じゃア、最後の佐渡屋の忰のほうをひとつ」
「定太郎は佐渡屋の相続人《あととり》なんですが、親父はすこし思惑をやり過ぎるんで、この節、だいぶ火の車で、こりゃまア、世間の評判だけでしょうが、あわや店仕舞いもしかねないほどの正念場ということです。……今度|結城《ゆうき》の織元で、鶴屋仁右衛門《つるやにえもん》といって下総《しもうさ》一の金持なんですが、その姉娘と縁組ができ、結納がなんでも三千両とかいう話。この娘が見合かたがたお祭見物に江戸へ出てきて二、三日前から佐渡屋に泊っているんだそうです」
「なるほど。……それで、定太郎と里春はいったいどんな経緯《いきさつ》になっているんです。何か入組んだことでもあるのじゃありませんか」
 折目高《おりめだか》に袴を穿いた、尤もらしい顔つきをした方が、甚兵衛に代って、
「この方は相模屋さんが、よくご存じないようだから、わたくしが代って申しましょう。……あんなのを悪縁とでも言うのでしょうか、里春はもと櫓下《やぐらした》の羽織で、春之助《はるのすけ》といったら土州屋さんもご存じかも知れない。評判の高かったあの松葉屋《まつばや》の春之助のことです。……七つも齢下の定太郎にじぶんの方から首ったけになって二進《にっち》も三進《さっち》もゆかぬようになり、商法の見習で定太郎が大阪へ行けば大阪へ、名古屋へ行けば名古屋といったぐあいに、あっちこっちしてる間じゅうこの五年越し影のようについて廻り、定太郎の年季が終って江戸へ帰って来ると、十三丁目と背中合せの箪笥町で清元の師匠をはじめたんです。……気の毒だといったらいいのか馬鹿だといったらいいのか、わたくしには何とも言えません。……佐渡屋は、四谷、麹町でも名の通った旧弊《きゅうへい》な家風。じぶんの相続人に五年も他人の飯を食わせて商法の修業をさせるほどの親父なんだから、山ッ気のほうは兎も角として、芸者の、師匠のとそういった類をどう間違ったって、家へなぞ入れようはずがない。そりゃア、里春のほうでも百も承知なんだが、矢ッ張り諦めきれないと見える。……あまりいじらしくて、この話ばかりはまだ誰にもしたことはなかったんですが、ちょうど二十日ほど前、町内に寄合があってその帰り途、佐渡屋の前を通りかかって、何気なくひょいと門口を見ますと、戸前に大きな犬のようなものが寝ている。……何だろうと思って、そっと近寄って見ると、鳴海絞《なるみしぼ》りの黒っぽい浴衣を着た里春が、片袖を顔へひき当てるようにして檐下《のきした》に寝ているんです。……酔ってるのかと思って、肩へ手をかけて揺って見ると、酔っているんじゃない、泣いているんです。……こんな地面へ寝転がっていると夜露《よつゆ》にあたるぜ、と言いますと、ああ、加賀屋の旦那ですか、手放しでお聞きにくいでしょうけど、あちきは毎晩ここで寝ているんです。……一尺でも定太郎に近いところで寝たいと思いましてねえ、どうぞ笑ってくださいまし……」
「そりゃ、気の毒なもんだ。……それで、定太郎のほうは、どうなんです」
 加賀屋は、苦っぽろく笑って、
「土州屋さん、これはあたしが言うんじゃありません。いくら何でも、頭を禿げらかしたあたしがこんなことを言うわけがない。これは、世間の評判です、どうか、そのつもりでお聴きください。……
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