画には驚嘆の念を禁じ得ない。その意図を知りつつ部屋を明けわたせば、積極的に彼等の計画を助けたことになる。次の朝、いま至急の勉強中であるから部屋を動くわけにはゆかぬと謝絶し、その足で六階へのぼって行くと、彼は風邪の気味で赤い顔をして寝ていた。そして、これでは食事にもさしつかえるから、妻君に病中の用事を達してもらいたい、君から頼んでくれるわけにはゆかぬかと、臆し、赤面しながら、極めて遠廻しにその意味をいった。
彼の不憫な恋情がいとしまれてならぬ。その苦しい心の中はもとよりよくわかるが、夫婦にむざむざ機会を与えるような取り計いは出来ぬ。「それくらいのことで、妻君を煩わす必要はない。おれがやってやる」といった。果して彼は落胆したようすで、以来非常によそよそしくするようになった。無情を怨むような眼つきをし、時には自分の来ることを好まぬような態度さえ露骨に示す。
一、三日ほど後の夜、妻君が六階の住人を夕食に招きたいから言づてを頼むといった。自分さえ喰えないやつらがなんで人を招く。また新奇な方法を案出したと見てとったので、彼は風邪気味だから招待には応じられまいと告げた。夫婦が彼に接触する口実にな
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