りはせぬかとおそれたのである。
次の夜、はいってゆくと妻君が寝床で丸薬を飲んでいた。丸薬の箱にポリモス錠と書いてあった。病気かときくと、「このごろ何となく元気がないから強壮剤をのんでいる」とこたえた。食事ののち、夫婦に背を向けて新聞に読み耽っていたが、そのうちになにげなく顔をあげ、ピアノの黒漆に映じている異様なものを見た。夫婦は互に目でうなずき、瞋恚《しんい》と憎悪のいり交ったるごとき凄じい視線を自分のほうに送っているそれであった。
生れて以来、いまだ感じたことのないような深刻な恐怖のうちに夜を明かした。徴候を察知しようとするあまり、いささか打診しすぎ、そのために夫婦に企図を察しられてしまったのである。それはまだ疑いという程度のものであろうも、危険の程度は同じである。夫婦の計画を知っていると感づいたら、たぶん生かして置くまい。そのためには機会はあり余るほどあるのである。
一、翌朝「売薬処方便覧」でポリモス錠の処方を調べ、その丸薬には強壮素として亜砒酸《あひさん》の極微量が含まれていることを知った。彼女がなんの目的で亜砒酸の極微量を服用しているか、その意図はすでに明瞭である。それを
前へ
次へ
全41ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング