から」と云った。「やってもらってもいいが、燐などを燃されては標本が駄目になってしまうが」というと、「いや、そんな心配はありません。ピュネリマという無害の燻蒸薬です」とこたえた。
部屋に帰るやいなや、ピュネリマとは、いかなるものかを調べて見た。それはシャン化物で燻蒸する際に発する水シャン化酸|瓦斯《ガス》の微量を吸いこむともはや絶対に助からぬ。そして極めて周到な解剖と精密な毒物検出試験によるのでなければその死因がなんであるか証明することが出来ぬのである。オリヴアの「中毒死及その実例」に、六年前ニースのホテルで起った事例が記述されている。ホテルの支配人は空部屋に燻蒸消毒を施したが、二階の部屋に寝ていた男がわずかばかり階下から洩れて来た瓦斯のために死亡したのである。死因は全然不明であったが、ある個人的な理由によって、再三、精密解剖と毒物検出の実験が施されたすえ、辛うじて判明した。自分の部屋でシャン化の燻蒸を行い、その瓦斯の微量が上の彼の部屋へ洩れて行ったら……その結果はきわめて明瞭である。
階下の部屋を消毒することがその階上の人間の死を意味するなどと誰が思いつくものだろう。巧妙な夫婦の計
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