りかえる。鼠がひどい音をたてて天井裏を駈けていった。
「ふん、鼠か……」
 安心したように机へ向きなおろうとすると、また、ゴトリと鳴った。かすかに靴底の擦れる音がきこえる。……そっと誰れか階段をあがってくるのだ。抽斗のなかへ手早く写真をさらえこむと、ふりかえりざま、
「どなた」
 と、叫んだ。……返事がない。
(そうそう、さっき西貝を迎いにやったっけ。……畜生め、なんだって黙ってあがって来やがるんだ)
 立ちあがりながら、乾が声をかける。
「西貝君かね」
 扉がしずかに開いた。
 はいってきたのは古田子之作だった。蒼ざめて、ひどく兇悪な顔をしていた。唇がピクピクとひきつり、その間から白い歯が見えたり隠れたりしていた。後ろ手で扉をしめると、くゎっと見ひらいた眼で乾を見すえたまま、のっそりと近づいてきた。帽子を[#「帽子を」は底本では「帽子をを」]ぬいで雫をきりながら、
「よう、今晩は」
 と低い声で、いった。
 乾は眼に見えないほど、すこしずつ寝台のほうへ後しざりをする。古田は椅子をひきよせて掛けると、ニヤリと凄く笑った。
「今日は、お礼にやってきた」
 乾はわざと驚いた顔で、
「……お
前へ 次へ
全187ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング