女のそれと、まさしく一致しているので、恐惶して、早速そのよしを上官に報告した。捜査の重点は直ちにこの部分へ移され、警視庁捜査第一課と、洲崎署の全力は、古石場町を出発点にして、全市域に亙って、その足跡を追跡しはじめた。
〈その女〉は、牡丹町三丁目から右折して平久町へはいり、曲辰《かねたつ》材木置場の附近まで行ったことが判ったが、足跡は、そこでバッタりととだえてしまった。突然、大地へとけこんでしまったのである。
 なんの手がかりもないままで、それから一週間たった。今朝のある新聞は、警視庁が女尊主義《フェミニズム》の傾向におちいるのは、捜査のために、あまり有益なことはあるまいと、揶揄していた。

 葵は寝床のなかで、それを読んでいた。
 久我が予知したように、その後、葵は召喚されることもなかったので、毎朝、ゆったりした気持で、新聞に読みふけることが出来るようになった。
 葵は、この事件の記事が眼にふれるたびに、はじめて久我と逢った朝のことを、いつも、こころ楽しく思いだす。いろいろな記憶の細片《デブリ》……。とりわけて、特高刑事だと明されたときの、強烈な印象を思いかえす。
 あのとき、葵が蒼ざ
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