れていた。智能不全な〈那覇〉のボーイの幻視ではなかったのである。〈その女〉を認めた人間が、ほかにもう一人いた……。
ある警官が、その夜、越中島の帝大航空試験場の前を右へ折れて、古石場町四丁目のほうへ歩いてゆく女を見た。もう、間もなく午前三時という時刻だった。非常に急いで歩いておりました。店を仕舞ってきた女給のような風態か。いや、そういう種類の女ではありません。上品な身なりの……どこかの令嬢といった風態だったのであります。時間も時間でありますので、私は訊問しようと思い、おい、おい、と、声をかけようとする途端に、四丁目一番地の角を曲ってしまいました。丁度その時、私は、その道と丁字形に交わる路地の奥を巡回して居りましたので、急いでそこを飛びだし、その角を曲って見ましたが、その時はもう姿が見えなかったのであります。……ご承知の通り、あの辺は小さな路地が錯綜している場所でありまして、いかんとも手の下しようがなかったとはいえ、完全に職務を遂行し得なかったことに対し、甚だ自責の念を、感じているのでありまして……
その警官は、夕刊で南風太郎の殺害事件を読むと、報道された〈その女〉の風態が、前夜見た
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