て見ると、加害者はこの一座のなかに、いるのかも知れないですね。……私かも知れない。いや、殊によったら、乾老それ自身かも……」
久我が、まだ言い終らないうちに、乾が、すっくと立ちあがった。いまにも投げつけるように、ジョッキの把手を握りしめ、眼をくゎっと見ひらいて、久我を睨みつけながら、
「なんだと! ……もう一ぺんいってみろ、畜生!」
と叫んだ。洲崎署の廊下で見た、あの悪尉の面になっていた。
西貝は、これさ、これさと芝居がかりに手をふりながら、乾に、
「大きな声はよしたまえ。……みなきいてるじゃないか」
乾は、久我を睨みすえて、もう一度、
「畜生!」と叫ぶと、急に、崩れるように椅子の中へ落ちこみ、両手で顔を蔽って、啜り泣きはじめた。しゃくりあげて泣くのだった。
西貝は、手がつけられない、という風に、頭を掻きながら、
「ちぇっ、泣き出しちゃいかんなあ。……(卓ごしに手をのばして、乾の肩を叩きながら)乾老……。これさ、乾老。君の酒もあまりよくないねえ。……泣くほどのことあ、ありゃしない、冗談じゃないか。……(そして、久我のほうへ片眼をつぶって見せた)久我氏、貴殿もすこし慎しまっせえ
前へ
次へ
全187ページ中57ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング