。老人にからかうなんざ、よくないよ」
 久我は、てれくさそうに笑いながら、乾に、
「かんべんしてください。冗談なんですから」
 乾は、ようやく顔をあげると、涙で濡れた眼で、うらめしそうに久我を見ながら、
「いけないよ。冗談にしても、あんなことをいうのは。……とうとうあたしを、泣かせてしまって……」
 そして、掌で眼を拭った。もう泣いていなかった。
 久我が、いった。
「つい、なんでもなく言ったんですが……。かんべんしてください。……いまのは、私の冗談ですが、……でも、司法主任がそういったというのは嘘じゃありません。……こんなことを言ったら、また気を悪くなさるかも知れませんが、……現に、あそこに、……(そう言いながら、卓の上へ低く顔を伏せると、ささやくような声で、葵にいった)葵さん、そのまま、しずかに顔をあげてください。(葵は顔をあげて怯えるような眼つきをした)……いや、なにも恐いことじゃありません。……奥から三番目の柱の横の……椰子の鉢植のそばの卓に、男が一人坐ってるでしょう。……見えましたか? ……(葵がうなずいた)そう。……あれは警察の人間です」
 葵は眉をひそめながら、ほとんどき
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