手の甲で唇を拭うと、妙にきこえよがしに、
「おう、今朝だれか俺をたずねて来なかったかよ、鶴さん……」
と、男《ボーイ》にきいた。男は頭をふった。(この問答をきくと、三人の客は一斉にちょっと身動きしたようであった)
菜葉服は、ふうん、といくども首をかしげてから、こんどは低い声で、
「……じゃなあ、俺はまたちょっと機械場へ行ってくるからよ、古田……古田子之作《ふるたねのさく》ってたずねて来たやつがあったら、子之はじきまたここへ戻ってくると言ってくんなヨ。……おい、頼んだぜ、鶴さん。すぐ戻ってくるってナ、いいか」
くどく念をおすと、バットに火をつけながら出ていった。
酒鼻はそのあとを見送りながら、思い出したように時計をひきだして眺め、おや、十一時か……と、つぶやく。すると二十日鼠はつぶっていた眼を急にパッチリとあけて、
「失礼ですが、いま何時でございましょう。正確なところは……」
と鹿爪らしい声でたずねた。
「十一時十分。……正確にいえば、十一時九分というところですかな」
二十日鼠は頭をさげると、また壁に凭れて眼をとじてしまった。酒鼻は時計をしまいながら、青年に、
「あなたもここ
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