を眺めている。なるほど、こういう場末町の不潔な酒場にはそぐわない男である。凄いほどひき緊った、端麗な顔をした三十四五歳の青年で、すっきりとした薄鼠の背広に、朱の交った黄色いネクタイをかけ流していた。銀座でもあまり見かけないような美しい青年である。
青年も二人の先客も、互いの眼をはばかるように背中合せに坐ったまま、さっきから身動きしようともしない……。こんな風にして時間がたつ。
それから二十分ほどすると、急に扉《ドア》があいて、二人の男が前後になってはいってきた。
一人は小鳥のようにうるさく頭を動かし、キョトキョトと酒場のなかを見まわしながら、なにかしばらく躊躇《ためら》っていたが、やがて、逃げるように出てゆくと、たちまち街路のむこうへ見えなくなってしまった。
もう一人は菜葉服を着た赧ら顔の頑丈な男で、番台に凭れかかると、そこからじろじろとしつっこく三人を眺め、それから、
「オイ、鶴さん、米酒《ピーチュ》」
と、酒棚のほうへ顎をしゃくった。
このほうは、どうやらここの常連らしい。発動機船の機関士か造船所の旋盤工というところ。チャップリン髭をはやしているのが異彩をはなつ。
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