ましょうね。……そのかわり、あとで、あたしと踊ってちょうだい」
 気軽に立ちあがると、階下へ駆けおりていった。
 葵があがって来た。ホールの入口に立って、奥のほうを見まわしている。酒場台《コントワール》のほうからくる琥珀《こはく》色の光が、ほとんど子供じみた彼女の横顔を浮きあがらせていた。脆そうな首筋、白い芥子のようなうすい皮膚。二十三でいて、そのくせ子供のようにも見える、あの不思議な典型的な「東京の女」の顔であった。
 久我を見つけると、葵は瞬間立ち竦んだようになって、それから、あまり劇しく身動きすると幻が消えてしまうとでも思っているように、そろそろと用心深い足どりで近づいてきた。
「……まあ、……でも、よく……あたし……」
 顔をかがやかせ、感動のために口もろくにきけない風であった。久我は、言葉をさがしながら、けっきょく、
「今晩は……」
 と、それだけいった。いかにもまずい挨拶であった。
 葵をアパートまでおくり届けると、久我はこころがときめいて、とてもこのまま眠られそうもなかったので、自分も自動車からおりると上衣をぬいで腕にかけ、快い初夏の夜風に胸を吹かせながら、あてもなく、ま
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