をすかして、椰子の葉と常連の顔を見ることが出来る。しかし、二階のダンシング=バアの方は、さように開放的ではない。肉色のカアテンが、|薄い下着《シュミイズ》のようにその肉体を蔽いかくしている。
 ここに集まるひとびとは、いわゆる、大東京の通人《ラフイネ》たちである。この都会の最も装飾的な要素であり、東京の「遊楽街《リユ・ド・プレエジール》」の伝説口碑に通暁しているすぐれた土俗学者たちだ。多少は互いの身分を知り合い、いくらかずつは、互いに肉親的なものを感じている連中である。
 バアの広間の中央は、「踊り場」になっていて通人《ラフイネ》たちは、そこで非合法的に踊る。この愛すべき秘密は、ある素朴《プリミチフ》な方法によって保たれていた。
「常連」以外の男がはいってくる。(これは風紀巡査かも知れないのだ)すると、信号の蝉鳴器《ブザ》が低くうなりだす。階下からの合図だ。二階のタンゴは、そこで、片足をあげたままで停まらなくてはならない。……この冒険が〈シネラリヤ〉の魅力になっているのであった。

 その日の夜十時頃、久我千秋は〈シネラリヤ〉の扉をおす。入口の勘定台には柔和な顔をした老人がいて、久我を
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