警部は菜葉服のほうへ顎をしゃくった。
「古田子之作。深川区富岡町二一七。〈都タクシー〉で働いております」
「運転手か」
「へえ、運転もいたしますが、いまはおもに古自動車をなおす方をやってるんで。……住居は、そこの二階で寝泊りしております。(頭をかきながら)まだ嬶《かかあ》はございません。へえ、三十三でございます」
警部は手帖をしまいながら、もう自由にひきとってよろしい、といった。青年が警部の前へすすみでた。
「私はまだすんでおりません」
警部は、すこしてれながら、
「ああ、……君は?」
「私は四日前に台北から上京いたしまして只今は麹町〈南平ホテル〉に泊っております。もとは青島《チンタオ》の貿易商会につとめておりました。現在は無職……失業中なのです。……久我千秋《くがちあき》。明治三十五年生れ」
そういって、上品なおじぎをした。
五人はわいわいいう弥次馬をおしわけながら街路へでた。
久我が片手をあげる。久我と葵をのせて、自動車は走り去った。
2
御苑裏の暗い街路に、〈シネラリヤ〉が夜の花のようにほの明く咲いていた。
階下は喫茶店になっていて、白い紗のカアテン
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