はねえのだが。……(首をかしげながら)じゃ、おやじが知ってるかも知れねえな。……おい、鶴さん。おやじはまだ寝てるのか。……ふうん。……じゃ、すまねえが、ちょっと起してきてくんな。子之がききてえことがあるってヨ。大至急な用なんだからよウ」
「大将はまだ夜中だぜえ、子之さん。それに、ゆんべは……(と、いいかけて、急に二階のほうへきき耳をたてると)おう、だれか二階をあるいてら……。へ、へ、大将が正午まえに起きたためしはありゃしまいし、して見ると、……(酒鼻のほうへにやりと下素《げす》っぽく笑って見せ、子之に)起すのはよしなよ、殺生だぜ、女《テキ》がきている」
 と、小指をだしてみせた。
 二十日鼠がついと立ち上った。が、それは帰るのではなくて、
「甚だつかぬことをお訊ねするのですが、みなさん、ひょっとしたらあなたがたも、わたくしと同様、未知の男から手紙をもらって、それで、……その、誰れかわからん人間をここで待っておられるのではないのですかな。たいへん失礼ですが……」
 二十日鼠がこういうと、ほかの四人の顔にさっと血の色がさして、たがいに狼狽したように眼を見あわせた。
「……じつは昨日、わたくしは未知のひとから、遺産相続の件で、内密にくわしい相談をしたいという手紙をもらいまして、それでここへやって来たのです。……わたくしには、南米のサン・パウロで働いておる年齢をとった叔父があるにはあるのですが、しかし、どうもありそうもないことでね。……はじめは冗談か詐欺かと思った、だが、人間、慾にかけるとたわいのないもので、そう思いつつ、結局、まあこうしてやって来たというわけです。……どうです、みなさんもそういうわけではなかったのですか」
 そういって、四人の顔を見まわすと、ずいぶんひとを喰った笑いかたをした。たれも否定するものはなかった。途方に暮れたような色がみなの顔にあった。二十日鼠は、
「……はは、(と、苦笑しながら)やっぱりそうでしたか。その手紙をここに持っておりますが、……ひとつ念のために読んで見ましょうかしらん」
 と、言いながら、もぞもぞとポケットを探して、邦文タイプライタアでうった紙きれをとり出すと、ひどく朗詠風に読みはじめた。

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一、火急に就き小生の身分は申上げず、御面晤の折万々御披露可致候
二、小生は貴殿が相続の資格を有せらる
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