うと、あたしは残念で無念でそれ以来今日が日まで、いても立ってもいられない位だったんでございます。……警察なんざ頼みにならない。自分の手でそいつをとっちめてやるつもりで、いろいろ金も使い、ない智恵もしぼって、走り廻ったこともございます。……そういうわけだから、念晴しに、ひとつたしかなところをお明しねがいます。そのかわり……」
 男はすこしもてあましたようすで、
「いいいい、わかったよ。……なにもかもみな判明《ワレ》たんだ。服《トビ》を借りに行った女というのが南平ホテルの女ボーイだったんで、こいつを訊問《タタイ》て見ると、野郎のために借りたというんだな。……野郎|女《ビク》に化けて行きやがったんだ。なかなか|味な《シブイ》ことをするじゃないか。あの面《ミカケ》で強盗《タタキ》をしようたあ、ちょっとだれも気がつかねえからな。……どうもナメた野郎だよ。それで、いままでヌケヌケと東京に|暮《アンゴ》しているてえんだから……」
 乾はいかにも口惜しそうな顔をして、
「ちくしょう。……やっぱり、あいつだったのか。あたしも臭いと思っていたが、まさかまさかと思って、うち消すようにしていたんです。……ひとを馬鹿にしやがって……。あいつが殺ったとすると、あんな太いやつはありません。偽せの警察手帳かなんか出しゃがって、逆さにあたしをおどかしたりするんだから……」
「それで、どこへ行くというんだ」
「なんでも、穂高で友達が牛を飼っていて、そこまで行けばどうにかなるから、って、ただいま嬶のほうが、金を借りに来ました」
「貸してやったのか」
「ひとに貸す金なんぞあるもんですか。あたしに断わられると二っちも三っちもいかないてえことを知ってるんですが、なにしろ、無いものはやれない。……だから、あいつらは、ぬすとでもするのでなければ、歩いて行くより仕様がないはずなんです」
「や、有難う。それだけ判ればいいんだ」
 と、いうと、男はがらくた[#「がらくた」に傍点]の上から帽子をとりあげた。乾はその顔を見あげながら妙な含み声で、
「それだけ、わかりゃあいいんですか?」
 男はいぶかるような眼つきでふり返った。
「なんだ?」
 乾が、むっつりと言った。
「あたしは、まだ知ってることがあるんです」
 古絨毯の堆積へ、また腰をおろすと、身体をのりだして、
「そうか。……なんだ、それは」
 しばらく間をおいて、

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