とウントネタだ。いさぎよくまけっちまえ。ひとの命を十両で売ったと思えば寝ざめがわるいが、大義親を滅す、さ。一旦志をたてて、日金貸しとひっ組んだ以上は、この位の覚悟はいるだろうさ。(乾のほうへふりかえると)おい、おい、そんなに堀のほうばかり見てるな。すこし、こっちを向け。……(あたりを見まわして)まるでこりゃ生世話物《きぜわもの》だな。……上手《かみて》はおあつらえむきの葦原、下手は土手場で木場につづくこころ、か……。木魚がはいって、合方が禅のつとめ[#「禅のつとめ」に傍点]とくれあ、こりゃあ本イキだ。四手網にからんであがってくるのは血染の衣裳……。そういえば、だいぶ暮れてきたな。……おい、乾、そんな凄い面をするな。だまっていねえで、なんとか言え。……貴公もようやく念願を達するんだ。すこしはしゃげよ、おい!」
乾は背中を丸くして煙草を吸いつけながら、
「念願だか、念仏だかわかりゃしませんよ。そんなものがあがってきたらお慰みさ」
「出ねえと知って無駄骨を折るいんちきもないもんだ。出ねえと知って……」
「はじめっから、とんちきを承知でやってる仕事だ。……妄執てなあこのことですよ。こいつが晴れないと浮かばれないんだ。……(ジロリと西貝を見ると)あんたにも多少の怨がかかってるんですぜ」
と、いった。西貝はピクピクと頬をひきつらせて、うつむいてしまった。しばらくの後、顔をあげると、
「乾老、おれは自白する」
といって、頭をさげた。乾は、瞬間、西貝を瞶《みつ》めたのち、
「なんです、急に……。どうしたんです、西貝さん……」
口調にもかかわらず、べつに驚いたようすもなかった。
「僕は絲満が殺された夜の一時ごろ、たしかに〈那覇〉まで出かけた……しかし、天地神明に誓って、殺したのはおれじゃない。これだけは信じてくれ」
乾は返事をしなかった。西貝は急きこんで、
「……あの晩、演舞場を出たのが十一時ちかく。二三軒はしごをかけて、新橋〈たこ田〉でまたのみなおしているうちに、その朝受取った、れいの〈遺産相続通知〉の手紙を思いだした。……酔っていたせいもあったろうが、いったん考えだすと、とめ途もないんだな。……馬鹿馬鹿しいが、そのときは、何万……という遺産が、小生のふところへころがりこむように思われてきたんだ……。昂奮したね。こんな気持で、とても明日までなんぞ待っていられない。……よし
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