、てめえ、ヒョイとかがんで、血溜りのなかからなにか丸いものを拾いあげたな。……たしか釦のようなものだったが、……おい! このほうはどうだ」
 ……こんどはいくら待っても返事がなかった。久我の眼に苦渋なものがあらわれ、額がうす黒く翳ってきた。
 西貝は食卓に頬杖をつきながら、騒々しい声で、
「こりゃ、いよいよドタン場だね。おい、バザロフ君、もう、観念して白状しろよ。それとも格率が違うから、自白なんて形式は認めないのかね」
 古田は眼をいからせて、
「野郎、なんとかぬかせ! やい、罪もねえおれをブチこんでおいて、よくもぬけぬけとしていやがったな。……待ってろ! こんどは、おれがしょっ引いて行ってやるから」
 顔をあげると、久我が、いった。
「いかにも僕は釦を拾いました。僕をひとごろしと思おうとなんと思おうと、それは諸君の勝手です。……だいたい、話もすんだようだから、僕はこれで失敬します」
 上衣を持って立ちあがると、襖をあけて出て行った。
「野郎、逃げるか!」
 古田は大声で叫びながら立ちあがった。那須は、待て、待て、おい待て、といいながら古田の肩に躍りかかった。

 鱗雲の間から夕陽が細い縞になって、腐ったような水の面にさしかけている。
 溜堀のなかには、筏に組んだ材木がいくつも浮かせてあった。三人のルンペンがその上に乗って針金でこしらえた四手網のようなもので堀の底を浚っていた。
 岸には大きな角材が山のように積んであって、その高いてっぺんに乾と西貝が腰をかけていた。西貝は、また新しい煙草に火をつけると、ふてくさったようすで、煙を空へふきあげながら、
「……人間万事金の世の中、さ。義理も人情もあるものか、金につくのが当世なんだ。なあ、そうだろう、乾老……」
 すこし酔っているらしかった。乾はキラキラ眼を光らせて熱心に堀のほうを眺めながら、うるさそうに、こたえた。
「まあ、そうだな」
 西貝は舌なめずりをして、
「気のねえ返事をするなよ。……ときに乾老、この堀から久我のぬいぐるみ[#「ぬいぐるみ」に傍点]があがってきたら、いくら出す。たとえ二十日、ひと月でも、いっしょに飲み分けた友人を売るんだ。無代《ただ》じゃごめんだぜ」
 乾が、むっつりとこたえた。
「もし、あがったら十両やる」
 西貝は下卑っぽく、ポンと手を打って、
「まけた。……三十両と言いてえところだが、もとも
前へ 次へ
全94ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング