う話か」
清五郎はあわてて手で抑えて、
「どうか、もうすこし小さな声で。……へい、そのことなんでございます。……ここではお話しにくうございますので、お手間は取らせませんから、どうか、そのへんまで……」
赤痣《あかあざ》
万年橋の鯨汁《くじらじる》。鯨一式で濁酒《どぶろく》を売る。朝の早いのが名物で、部屋で夜明しをした中間や朝帰りのがえん[#「がえん」に傍点]どもに朝飯を喰わせる。
清五郎は、なにかよっぽど思いつめたことがあるふうで、注がれた濁酒に手も出さずにうつむいていたが、やがてしょんぼりと顔をあげると、
「こうなったら、なにもかもさっくりと申しあげますが、……阿波屋の人死《ひとじに》は、じつは、あっしのせいなんで……」
顎十郎はチラととど助と眼を見あわせてから、
「えらいことを言いだしたな。阿波屋の六人が死んだのは、お前のせいだというのか」
「へえ、そうなんで」
と言って、ガックリとなり、
「それに、ちがい、ございません」
顎十郎は急にそっけのない顔つきになって、
「おい、清五郎、お前はなにか見当ちがいをしていやしないか。いまはこんな駕籠舁だが、ついこのあいだまでは北番所の帳面繰り。ひょんなことで阿波屋の六人を手にかけ、退っぴきならないことになりましたが、以前のよしみで、なんとかひとつお目こぼし、……なんてえ話なら聴くわけにはいかない。なるほど俺は酔狂だが、下手人の味方はしねえのだ」
清五郎は、額にビッショリと汗をかいて、
「まあ、待ってください。どのみち逃れぬところと観念しておりますが、こんなところで思いがけなくお目にかかったのをさいわい、せめて道すじだけでも聴いていただきたいと思いまして……」
顎十郎はマジマジと清五郎の顔を眺めてから、
「それで、いったいどんなぐあいに殺《や》った」
「どんなふうに殺したとたずねられても困るんでございますが、しかし、直接手は下さなくともあっしが殺したも同然なんで……」
「口の中でブツブツ言っていないではっきり言ってみろ」
清五郎は、ほッとうなずいて、
「……ことの起りは守宮《やもり》なんでございます」
「守宮……、守宮がどうしたというんだ」
「いきなり守宮とばかり申しあげてもおわかりになりますまい。いま、くわしく申しあげますから、ひと通りお聴きとりねがいます」
と言って、顫える手で濁酒の茶碗をと
前へ
次へ
全14ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング