の手の人びとも芝居は一度ぐらい抜いてもこの菊人形ばかりは見のがさない。
見物を目あての担売《にないう》り、茶店、けんどん、安倍川餅、茶碗酒などが片がわに店を張り、白粉を塗った赤前垂の若い女が黄いろい声で客を呼ぶ。……寄っていらっしゃい。ちょうどお燗もついております。
菊人形では植木屋半兵衛の小屋がいちばん古く、人形のほかに蕎麦を喰わせる、藪下の蕎麦といって菊人形の見物につきもののようになり、菊を見たかえりには、たいていここで憩《やす》む。
鍵手に曲った土間の片がわに自慢の千輪咲きやら懸崖《けんがい》やらをズラリとおきならべ、そのそばで手打の蕎麦を喰わせる。土間には打ち水をして、菊の香が清々《すがすが》しい。それが、自慢。
その植半の奥まったところにかけているのは辻駕籠屋のアコ長と相棒のとど助、それに北町奉行所のお手先、例のひょろりの松五郎の三人。
アコ長の本名は仙波阿古十郎。どういう間違った生れつきか、人なみはずれた長い顎を持っているので名詮自性《めいせんじしょう》して、曰く、アコ長。半年ほど前までは北町奉行所の係りで、江戸一の捕物の名人などと言われたこともあったが、くだらな
前へ
次へ
全31ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング