道楽者くずれの小鰭の鮨売などに迷って駈けだそうなどとは考えられない。仮に小鰭の鮨売がこの事件に関係があるとするなら、これには、裏になにか複雑《いりく》んだアヤがなければならぬはず。
 アコ長は、真顔になって、長い顎を撫でながら、とほんとなにかかんがえていたが、そのうちに、れいによって唐突《だしぬけ》に、
「おい、ひょろ松、それで鰭売はどう言うんだ」
「……たしかに、その日その刻、おっしゃる家の近くを通りましたが、あっしは塀の外をふれて歩いたばかり……。ちょうどその日、浅草材木町の石田郷左衛門の家と下谷の山本園の近くで、佐吉というその鮨売がふれて行くのを見ていたものがいて、それが証人になっているンですから佐吉の言うことには嘘はないらしいンです」
「それは、どこの売子だ」
「両国の与兵衛鮨の売子です」
「ほかの二人のほうはどうだ」
「大桝屋のお文のほうは、堺町の金高鮨の売子で新七。……桔梗屋のお花のほうは、深川の小松鮨の売子で、八太郎というンですが、この二人のほうもべつに娘たちに近づいたようすはないンです」
「それはそれでいいが、そいつらはいったいなんと言ってふれて歩いたんだ」
「……小鰭
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