松、鮨売は娘のそばに近寄らなかったろうが、しかし、娘たちはその鮨を喰ったろう」
 ひょろ松は、えッと驚いて、
「ど、どうしてそれをご存じです」
「どうしてもこうしてもない、そうでなけりゃア、筋が通らないからだ」
「……お察しの通り、実は、こういったわけだったンです。三人の鰭売は、なるほど塀ぎわにも裏木戸にも店さきにも寄りはしませんが、町角のよっぽど遠いところに小僧が先まわりをして鮨売を待っていて、番頭たちのお八ツの鮨を買って旦那や大番頭に知れないようにこっそりと店へ持って来るンです。……番頭ばかりじゃない、それには奥から頼まれた分もはいっている。小鰭の鮨など買いぐいするところを見つかると母親がやかましいから、娘づきの女中がその都度《つど》そっと小僧に頼む。小僧が懐中をふくらませて帰ってくると、奥の女中が店の間で待っていて暖簾ごしにお嬢さんの分をこっそり受けとるという寸法なんです」
 顎十郎は、顔をしかめて、
「お前の話はどうもくどくていけねえ。いったい、喰ったのか喰わなかったのか、どっちだ」
「喰いました」
「ほら見ろ、なぜ先にそれを言わねえンだ。それさえ先にわかっていりゃアむずかしいことはなにもありゃしなかったンだ。……くどいようだが、すると、その四人の娘たちは鮨を喰ってから駈け出したんだな」
「まあ、そういう順序でしょう」
「まあ、と言うのはどういうんだ」
「そのへんのところだろうと思うンで。……じつは、そこンところはまだ訊いていなかったんです。もっとも、こりゃア調べりゃアすぐわかります。……いま伺っていると、喰ったか喰わないかが妙にひっからんでいるようですが、娘たちがもし鮨を喰ったとすると、それがなにか曰《いわ》くになるンですか」
「まア、ひょろ松、割り箸の中からいったいなにが飛びだす」
「黒文字《くろもじ》が出ます」
「それから?」
「恋の辻占。……あッ、なるほど、それだッ」
 顎十郎は、ニヤリと笑って、
「ようやく気がついたか。鮨に曰くがあるンじゃない。その恋の辻占に文句があるンだ。……ひょろ松、その三人の鮨箱はちゃんと押えてあるンだろうな」
「へえ、そこにぬかりはございません。鮨のほうは腐ったから捨てましたが、割り箸はそっくり残っております」
 アコ長は、気ぜわしく立ちあがって、
「じゃア、これから行って調べて見よう。……鮨箱の中からどんな辻占が出るか、それが楽しみだ……とど助さん、毎度のことでご迷惑でしょうが、またひとつ交際《つきあ》ってください。鮨じゃないがこれも腐れ縁でねえ……」

   三津五郎《みつごろう》

 常盤橋御門内、北町奉行所の御用部屋。
 坊主畳を敷いた長二十畳で、大きな炉を二カ所に切り、白磨きの檜の板羽目に朱房のついた十手や捕繩がズラリとかかっている。
 御用部屋の中に割り箸の山をきずき、アコ長、とど助、ひょろ松の三人がその前に妙な顔をしてぼんやり坐っている。
 伝馬町へひきあげてあった四十人の鰭箱を取りよせ、三人がかりで箸を割っては妻楊枝に巻きついている辻占の紙を一枚ずつ克明に読んで見たが、他愛のない駄洒落ばかりで、かくべつ、どうという文句にも行きあたらない。
 少々じれ気味になって、売子を出している江戸中の鮨屋へ一軒のこらず下ッ引を走らせ、店にある割り箸をそっくり引きあげて持って来させる。いやもう、たいへんな数。御用部屋の中は割り箸だらけになって三人の坐るところもない始末。
 さすがのひょろ松も、うんざりして、
「こいつアいけねえ。これをいちいち調べていたら来年の正月までかかる。……ねえ、阿古十郎さん、どうでもこいつをみなやっつけるンですか」
 とど助も、あきれて、
「朋友のよしみですばってん、割り箸と引っくんで討死もしましょうが、こりゃとうぶん割り箸の夢で魘《うな》されまっしょう」
 下ッ引どもはおもしろがって、ワイワイ言いながら手つだう。九ツごろから始めて日暮ちかくまでせっせと調べたが、割り箸の山はまだ三分の一も片づかない。
 日ごろあまりものに動じない顎十郎もさすがにうんざりしてきたと見えて、何百本目かの割り箸をさいて辻占を読んでいたが、
「……※[#歌記号、1−3−28]人目の関のあるゆえに、ほんに二人はままならぬ……か、これは、くだらない」
 と、呟いて、辻占を畳の上になげだし、
「どうも、こいつはいけなかったな。こんどばかりは味噌をつけた。すると、割り箸のほうでもなかったらしい。となると、こりゃアやっぱり神隠し。いや、どうもお騒がせしてすまなかった」
 と、わけのわからぬことをブツブツ言いながら、とど助をうながして御用部屋を出て行く。ひょろ松は、追いすがって、
「……阿古十郎さん、あなたはすっ恍けの名人ですが、きょうのは、またいつもの伝なんでしょう」
 顎十郎は、ヘラヘラ笑っ
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