手で杓を取って左手から先に洗うのです。……もうひとつは、これもほんのちょっとしたことですけど、姉は枕に汗がつくのを厭がって、ときどきうっとりと眼をひらくと、枕もとにいるあたくしに、きまって枕を取りかえてくれとせがむのですが、それが忘れたように一度も言わなくなり、気味が悪いだろうと思われるような汚れた枕紙に頭をのせて平気でいるのです」
「ちょっとお訊ねしますが、それは、いったい、いつごろからのことですか」
「……この月の七日の夕方、急に変がきまして、一時は絶気《ぜっき》して手足も冷たくなり、泣く泣く葬式の支度をしかけたのですが、あたくしがそんな気がしだしたのは、その翌日の、八日ぐらいからのことだと思います」
 アコ長は、ボッテリした顎の先をのんびりと爪繰《つまぐ》りながら、
「いや、よくわかりました。それでお米さんとやらが、そうやすやすとすりかえたり入れ変ったりすることが出来るようなぐあいになっていたのですか」
 利江は、飛んでもないというふうに頸を振って、
「姉は熱のかけ冷めがはげしく、風にあたってはよくないということで、ずっと土蔵の中で臥《ふせ》っておりました。土蔵と申しても座敷土蔵
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