ているとき、傘に雨があたる音がし、小さな足音がたゆとうように家の前を行きつもどりつしていたが、そのうちに含みのある優しい声で、油障子の外から、
「お訊ねいたします、こちらが、仙波さまのお住居でございましょうか」
 と、声をかけた。

   お米

 蔵前《くらまえ》ふうの根の高いのめし[#「のめし」に傍点]髷。紫の畝織縮緬《うねおりちりめん》に秋の七草を染めた振袖。下膨《しもぶく》れのおっとりした顔つきの十六七の娘。贅沢な衣裳《みなり》とどことなく鷹揚なようすを見ても下町の大賈《おおどこ》の箱入娘だということが知れる。
 悪びれないようすで古畳の上へあがって来ると、あどけなくアコ長の顔を見つめながら、
「あたくしは深川茂森町の万屋和助の末娘で利江と申すものでございますが、姉が生きておりますとき、金助町の花世さんのところで、一二度お目にかかったことがございましたそうで、そのご縁にあがって、折入ってお願いしたいことがございまして……」
 たった今、ひょろ松が話したのと同じいきさつを手短かに物語ってから、キッパリとした顔つきになって、
「……じつは、これからあたくしが申しあげますことは、いっ
前へ 次へ
全30ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング