、その上にいい加減に土をかけて投げこんだ日と男女の別を木片に書きつけて差しこんである。
乙丑《きのとうし》八月十四日、女、と書きつけたまだ真新しい木標。
「これでございます」
「掘りだしてくれ、傷をつけないようにな」
「合点でございます」
こんもりと小高くなった土饅頭のはじのほうから鍬を入れて掘りひろげてゆく。けさ早く長雨があがったばかりのところで、土がズブズブになっているからわけはない。
下働きの非人は土を跳ねながらせっせと掘っていたが、そのうちにだしぬけに鍬を休めて、
「旦那、ございませんです」
「どうしたと?」
「どうもこうも、死骸がございません」
ひょろ松は、せきこんで、
「そ、そんなはずはねえ。手前、有所《ありど》を間違えたンじゃねえか」
「とんでもない。この通り、乙丑八月の十四日としてあります。投げこみましたのはこのわっちなンで。間違えるなンてえことは……」
「おい、おれに鍬を貸せ」
ひょろ松が夢中になって掘りはじめたが、出てくるものは石ころや木の根ばかり。
顎十郎は、いつになく引きしまった顔つきになって、
「ひょろ松、無駄だ、やめておけ、いくら掘ったってお米の死骸が出てくる気づかいはねえ。長雨さえなかったらなにかの手がかりが残っていたろうというもンだが、グズグズ雨の後じゃどうしようもねえ。……首を斬られて八間堀へ浮いたのはほんとうのお米だったということはこれでわかったが、むこうがこういう出ようをするなら、こちらもひとつ腰をすえなくちゃなるまい。……きょう祝言をするのはお米と瓜ふたつの偽物。言うまでもねえ、金三郎というのも、おなじ穴の貉。それに、仲間が二三人。……ひょっとすると、万屋の家の中にも一人いる」
「へえ」
「とにかく、ほんもののお米は現実に万屋からかつぎ出されているンだから、どんな方法でやりやがったか、そいつを手ぐってみたらなにかの引っかかりがつくかも知れん。これから深川へ引きかえして万和へ乗りこんで見よう。……表むきは、おれはお前のワキ役。そのつもりでいてくれなくっちゃ仕事がやりにくくなる」
「かしこまりました」
道々、細かい打ちあわせをしながら深川の茂森町。ひょろ松は、万和とは昵懇《じっこん》だから店からすぐ奥へ通される。
今日が婚礼なので、門に高張《たかはり》を立て、店には緋の毛氈を敷いて金屏風をめぐらし、上下《かみしも》を着た番頭や印物《しるしもの》を着た鳶頭《かしら》が忙しそうに出たり入ったりしている。
日が日だから温厚な万屋和助もさすがに迷惑そうな顔をしたが、こちらはそれに構わず、残らず家の中を見せてもらって、最後にお米が寝ていたという例の座敷土蔵。
大奥の局もこうあろうかと思われるような手びろい構え。長い廊下に四方からかこまれた五百坪ぐらいの中庭があって、土蔵はそのまんなかに建っている。
アコ長は、ひょろ松を助けるふりをしながら土蔵の穴蔵へ入ってなにかしきりにゴソゴソやっていたが、やがてひょろ松の耳に口をあて、
「ここに抜穴でもあるかと思って調べて見たが、そんなものはない。このへんがギリギリだろうから、さっき言ったことを万屋に訊いてみろ」
ひょろ松は合点して、万和のほうへ寄って行き、
「ねえ、万屋さん、つかぬことをお伺いするようですが、お米さんが息を引きとられたとなると取りあえず湯灌の支度をしなくちゃならない。そのとき棺はこの土蔵座敷の中まで入りましたろうね」
万和はうなずいて、
「息を引きとりましたのが七ツ半ごろ。泣きの涙で死衣裳に替えさせ、お時という小間使をひとり残してわれわれは広座敷へ集まって葬式の日どりの相談をしておりますと、それから半刻ほどの後、お時がワアワア泣きながら飛んでまいりまして、お嬢さまが、いまお持ちなおしになりましたと申します。さっそく平野屋へ棺の断りをいわせ、転ぶように土蔵座敷へ入って見ますと、お米はぼんやりと眼をあけて天井を眺めております。……お米、お米と名を呼びますと、低い声で、はいはいと返事をいたします。ありがたい、かたじけない、まるで夢のような心持。なにはともあれ、家内で祝いをしようと思って、ふと土蔵の戸前のほうを見ますとそこに棺桶や湯灌道具がおいてあります。え、縁起でもない。こんな物をかつぎこんでと腹を立て、土蔵から走り出して店のほうへ行きかけますと、手代の鶴三というのが廊下を通りかかりましたから、おいおい、平野屋へ断りを言えというのになぜ言わぬと申しますと、鶴三は、たっていま使いをやったところですが、ええ、その断りは遅いわい。棺が土蔵座敷の戸前にすえてある。縁起でもない、なんでもいいから早く引きとらせなさいと……」
ひょろ松は手で制して、
「いや、よくわかりました。そのへんまでで結構。……御祝儀の日にとんだお騒がせをして申訳あり
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