ころへ行きあわした。どういうはずみだったか、そのとき銀の腕守の留金がはずれて生洲の中へ落っこちた。それで見る気もなく見たンですが、たしかに甲府入墨を焼切った痕のようだったというンです。金蔵はヒョイと見て、こいつはいけないと思ったもンだから、あわててわきをむいてすっ恍けていたンですが、横目で様子をうかがうと、藤五郎は水に濡れたまま大急ぎで、左手を懐へつっこんでしまったンだそうです。……これはつい一刻ほど前に訊きこんだんですが、早いほうがいいと思いましたから、亀のやつをすぐ甲府まで飛ばせてやりました」
「おお、そうか、そりゃア手廻しがよかったな。……訊くことはこれでおおかた訊いてしまったわけだが、吉兵衛というやつは、そのほかになにか人から恨まれるような筋でもねえのか」
「なにしろ、いま申しあげたような意気地なしですから、あまり人づきあいもなく、吉兵衛のほうで恨みを買うようなことはなかったようです。……裏どなりを克明に訊きこんで歩きますと、この半年というものはまるっきり家にひっこんでいて、たまに外へ出ると、菩提寺へ出かけて行って墓の草むしりばかりしている。それが楽しみだというンだから、よッぽ
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