はずいぶん尻腰《しっこし》のない男もあるもんだ、と言った。
『大清』は三年前に女房をなくしたが、忙しいにまぎれて不自由なことも忘れていたが、おもんの言葉で味な気になり、とうとう瓢箪から駒が出ておもんを後添いにしてしまった。
 この経緯《いきさつ》がパッと町内にひろがったので吉兵衛はいい物笑い。裏どなりの担《かつ》ぎ呉服の長十郎というのが、ひとごとながら腹をたてて、風呂でひょっくりあった時に、お前は阿呆だとばかし思っていたが、女房を寝とられてそんなふうに落着いていられるところなんざアこりゃア大した器量人《きりょうじん》だ、と皮肉を言うと、吉兵衛は、妙な含み笑いをして、俺が落着いていられるのには訳があるンだ。『大清』が奥山にいるときの悪事のしっぽを俺ににぎられているンだから、きいたふうの真似をしても、その実、生涯、俺に頭のあがりっこはねえんだ。それに、おもんだってどんなつもりで進んで『大清』の後添いになったか、その裏の事情がお前なんぞにわかるはずはねえ。なにも知りもしねえくせにきいたふうのことを言うと口が風邪をひくぜ、気をつけろい、と、いつにない巻舌でやり返したということだった。

   
前へ 次へ
全31ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング