売り切れになるという有様なので、建てたばかりのやつをまた建増ししなければならなくなった。
 ところが『大清』の南は濠《ほり》で建増そうにもひろげようにもどうすることも出来ない。そこで、眼をつけたのが北どなりの京屋の地面。ここを買いつぶしてひろげると、こっちは角店になるわけで、いっそう店の格がつく。
 商売もあんまり繁昌していないふうだし、大したいざこざを言わずに承知するだろうと多寡をくくって話を持ちかけて見ると、それが案外の強腰《つよごし》で、いくら金を積んでもこの地面は譲られぬという挨拶。
 坪二両に立退料三百両というところまで競《せ》りあげたが、それでも頭を竪《たて》には振らない。
 気の小さなくせに偏屈なところがあって、商売がうまくゆかないせいもあろうが、家内のおもんにもめったに笑い顔も見せない。陰気な顔をして一日じゅう藍甕《あいがめ》のまわりでうろうろしている。
 こちらは火が消えたようになっているのに引きかえ、となりは豪勢な繁昌ぶり、これが癇にさわるので、うんと言わないのは、ひとつはそのせいもある。
『大清』の藤五郎のほうでは、いよいよ金ずくではいけないと見てとると、こんどは
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