やはり天保の改革で、深川|辰巳《たつみ》の岡場所が取りはらわれることになり、深川を追われた茶屋、料理屋、船宿などが川を渡ったこちら岸の柳橋にドッと移って来て、にわかに近所に家が建てこむようになった。
吉兵衛のとなりへ越して来たのは『大清』の藤五郎という男で、もとは浅草奥山の興行師。それまでは深川仲町で小料理屋をやっていたが、そのあいだにだいぶ溜めこんだと見え、ご改革を機会に京屋のとなりの長野屋という旅籠屋《はたごや》を買いとり、その地面へ総檜《そうひのき》二階建のたいそうもない普請をし、茶屋風呂の元祖深川の『平清』の真似をして贅沢な風呂場をこしらえて湯治場料理屋をはじめた。
台所には石室をつくり、魚河岸から生きた魚を、雑魚場《ざこば》から小魚を仕入れてここへ活《い》かしておく。酒は新川《しんかわ》の鹿島《かしま》や雷門前《かみなりもんまえ》の四方《よも》から取り、椀は宗哲《そうてつ》の真塗《しんぬ》り、向付《むこうづ》けは唐津《からつ》の片口《かたくち》といったふうな凝り方なので、辰巳ふうの新鮮な小魚料理とともに通人の評判になって馬鹿馬鹿しいような繁昌のしかた。夕方の七ツ半にはもう
前へ
次へ
全31ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング