門の曽孫で、界隈きっての旧家。ひょろ松が、溝川《どぶがわ》の中を藁馬をひきずりまわしていたころには、さんざ世話をかけた叔父さん。
 白髪の、いかにも世話ずきらしい気の好さそうな顔をしているが、なにか心配ごとがあると見え、久濶《きゅうかつ》の挨拶も、とかく沈みがちである。
 ひょろ松は、眼聡《めざと》く眼をつけて、
「お見うけするところ、いちいち、ためいきまじり。……今夜、わざわざおいでくだすったのは、なにか、この松五郎に頼みでもあってのことではございませんでしたか」
 又右衛門は、憂《やつ》れ顔でうなずき、
「いかにも、その通り。……じつは、一月ほど前から、家内に、なんとも解《げ》しかねる奇妙なことが起き、このまま捨ておいては、たったひとりの娘のいのちにもかかわろうという大難儀で、わしも、はやもう、悩乱《のうらん》して、どうしよう分別《ふんべつ》も湧いて来ぬ。その仔細というのは……」
 又右衛門の連れあいは、四年ほど前に時疫《じやみ》で死に、いまは親ひとり子ひとりの家内。
 奥むきのことは、お年という気のきいた女中が万事ひとりで取りしきり、表むきは、作平という下男頭が、小作人の束ねから
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