二十一日は亡父の七回忌で、どうでも法要につかねばならねえという親類一統の手詰《てづめ》の強文章《こわぶみ》。それで渋々、帰郷することにしたが、それにつけても、ひとりでは所在がない。顎十郎のふうてん[#「ふうてん」に傍点]なのにつけこんで、月見がてらに柴崎《しばざき》の鰻はいかが、と誘うと、こちらは、喰い気のはったほうだから、よかろう、でついてきた。
 他愛のないことを言いあいながら、いつの間にか三鷹村も過ぎ、小金井の村ざかいの新《あたら》し橋へかかったのが、ちょうど暮六ツ。
 ひょろ松は、六所宮《ろくしょのみや》のそばの柏屋《かしわや》という宿屋へ顎十郎を押しあげておいて、自分ひとりだけ実家へ挨拶に行ったが、ものの一刻ほどすると、大汗になってもどって来て、
「あたしの苦手は、田舎の親類と突きだしのところてん[#「ところてん」に傍点]。……どうも、お辞儀のしずめで、すっかり肩を凝らしてしまいました」
 と、ぐったりしているところへ、襖のそとから、ごめん、と挨拶して入って来たのは、多摩新田金井村の名主、川崎又右衛門。
 大和の吉野山から白山桜《しろやまざくら》をはじめてここへ移植した平右衛
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