蕃拉布のはしを急にとけないように小間結《こまむす》びにしておくなんて芸当が、怨霊にできるわけのもんじゃないんだから、もとより、人間のしわざに違いないんだが、だから、いったい、どんなふうにして入って来て、どんなぐあいに出て行ったものか。……結局、さっきと同じ話になってしまうわけだが……」
 仁科伊吾は、太い一文字眉を癇性らしく動かしながら、すぐにはそれに答えずに、うつむき加減に膝に目を落していたが、とつぜん顔をあげると、
「……しかし、それは、いくらここで言いあってみたって、どうにもならないこってしょう。……どんなふうにして殺されたかは、岡っ引どもが来て調べりゃわかるこったから、くどッくらしく巻き返すのは、これくらいにしておこうじゃありませんか。……それよりも、これは、ひとり、佐原屋ばかりのことではない。われわれ全体の上におおいかかって来た問題なので、これに対して、われわれがどういうふうに身を処すべきか、それを相談しておくほうが急務だと思われます。……方法はどうあろうと、ことの実体は、われわれが不可解な殺戮の目標になっているらしいということで、もし、そうとすれば、恐らく、つぎつぎにこういう事件が襲いかかってくるものと覚悟せなければなりますまい……われわれ六人が結束を固くしているのは、日本の文化開発のために微力を尽そうということのほかに、いわれのない攘夷派の圧迫に、一団となって対抗するためもあったのですが、こういう容易ならん方法でわれわれの生命が脅威をうけた場合、六人組としてはどういう処置をとったらよろしいか……長崎屋さん、あなたに、なにか、お考えがおありですか」
 長崎屋は、いかにも不敵な口調で、
「……佐原屋の平素のやりかたには、たしかに攘夷派を挑発するような素振りが多かった。……こんなふうに言うと、死んだ佐原屋を鞭打つようなもんだが、それは、たしかにそうなんです。……思うに、攘夷派の連中が、ことさらあんな奇抜な方法で佐原屋を殺したのは、つまり、一種の示威なので、かくべつ恐れるに足らないことだと思います。……なぜかと申しますと、佐原屋を殺すつもりなら、なにもあんな奇異な方法をとらなくとも、もっと簡単にやれる方法はいくらだってあるでしょう。それをことさらにあんな方法を選んだというのが、つまり、そのへんの消息を物語っているのだと思います……いかがでしょう」
 仁科は、間をおかず、すぐにうなずいて、
「長崎屋さん、あなたのおっしゃる通りだ。……じつは、わたしも、さっきからその点に気がついておりました。……こりゃアたしか、威《おど》かしなんです。……そうだとすると、少々おとな気ないですな。こんな奇術のようなことをやって見せて、われわれが驚くと思っているんなら浅墓な考えだ。……わたしは、いつか両国で、切利支丹《きりしたん》お蝶の白刃潜《しらはくぐ》りというのを見たことがあります。……軍鶏籠《とうまるかご》の胴中へ白刃を一本さしこんでおいて、それを、こっちから向うへ抜けるんですが、あのくらいの芸があれば、今晩のようなことはわけなくやってのけるでしょう……してみりゃア、埓《らち》もないはなしです。こんなものに恐れる必要はちっともありゃしません」
 白刃《はくじん》をふるって斬りこまれたり、闇討ちに遭いかけたことは、これまでたびたびあったことだし、そう言われれば、なるほどこれくらいの威かしに今さらびくつくこともいらないわけで、ほかの四人も、もっとも、とうなずいたが、それでも、なにか心の隅に、結んでとけぬ暗い思いがあった。
 そうするうちに、町与力の一行がやって来た。
 検屍が済んでから、ひとりずつ別間へ呼ばれて取調べを受けたが、さっきも言ったように、五人ながら円卓から離れなかったということはお互いがよく知っているので、おのおのの申し立ての符節があい、このまま引きとって差しつかえないということになった。
 検屍がすんだのは、ちょうど七ツごろで、もう東の空が白みかけている。
 雨あがりの上天気で、きょうもさぞ暑くなりそうな、雲ひとつない曙《あけぼの》の空に、有明月《ありあけづき》が残っている。
 なにしろ、ずっと夜あかしで、それに、気を張りづめだったから、さすがに疲労をおぼえて、これから駕籠に揺られて帰る気はない。
 船にしようということになって、長崎屋だけをひとり寮に残し、仁科、日進堂、和泉屋、佐倉屋の四人が三囲《みめぐり》から舟に乗り、両国橋の下をくぐって、矢の倉河岸の近くまで来たとき、佐倉屋が、ちょっと、と言って艫《とも》へ立った。
 艪《ろ》を漕いでいた佐吉という若い船頭が、
「旦那、おつかまえしましょうか」
 と、立ちかかるのへ、
「なアに、大丈夫」
 と、こたえて、ゆっくりと小用をたしていたが、やはり疲れていたのか、うねりで船がガクと
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング