た。
これは、例の幸運の手紙とおなじもので、美濃紙《みのがみ》八枚どり大に刷った大黒天像を二枚ひとつつみにし、しかるべき有縁無縁《うえんむえん》の善男善女《ぜんなんぜんにょ》の家にひそかに頒布《はんぷ》するもので、添書《そえがき》に、『一枚は箪笥の抽斗《ひきだし》におさめ、一枚はこれを版に起して百軒に配布すべし』と書いてあるのを常とする。
これをおこのうものは福徳家内に満ち、これをおこなわぬものはかならず災疫をうけるというので、これを受けとったものは、おのがじし百枚ずつを版木に起して配布するので、わずか三月とたたぬうちに、大黒尊像は日本の津々浦々にまで行きわたるような大勢力となった。幕府は大いに狼狽し、文政二年の末ごろ禁令を出して取締ったが、またふた月ほど前から、尊像頒布が急にたいへんな勢いで流行しはじめた。
顎十郎は、文机のうえから版木をとりあげて、ニヤニヤ笑いながら、
「たとい、むかしでも法度は法度。……それを取締るべき与力筆頭のあなたが、こんなことをなさるなどは、ちと受けとれぬ話ですね」
庄兵衛は、てれくさそうに額に手をやり、
「悪いやつに、悪いものを見られてしまったわい
前へ
次へ
全23ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング