い》ぎわに突っ立って、
「いよう」
 と、ひともなげな挨拶をすると、遠慮もなくズカズカと入りこんで来て、叔父のよこへ大あぐらをかく。
 庄兵衛は、顎十郎の声を聞きつけると、どうしたのか、ひどくあわてふためいて、あたふたとありあう本で文机のうえのものをおおい隠すと、三白眼をつりあげ、大きな眼鏡ごしに顎十郎の顔をにらみあげながら、
「いくらいっても聞きわけがない、叔父にむかって、いよう、などという挨拶があるか。……たしなまッせえ、この下司《げす》ものめが」
 顎十郎は、空吹く風と聞きながし、
「ときに叔父上、あなたもめっきりお年をとりましたな、そうしてションボリと文机のまえに坐っているところなんざ、まさに大津絵《おおつえ》の鬼の念仏。……いつまでもじゃじゃばっていられずと、はやくお役御免を願って、初孫《ういまご》の顔を見る算段《さんだん》でもなさい」
 庄兵衛は、膝を掻きむしって、
「またしても、またしても、言わしておけば野放図《のほうず》もない。毎朝三百棒をふるこのおれを、老いぼれとはけしからぬ。……これこのおれの、どこが老いぼれだ」
 まるで、こんがら童子が痙攣《ひきつけ》たような顔を
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