な方だから、前例のあることなら多分ご存じだろう。……もし、そうだったら、それは、どういう次第で、どういうおさまりになったものか、ひとつうまく聴き出してこい、という旦那さまのお言いつけなんで。……それで、こうして、馴れねえとりもちなんぞをいたした次第なんでございます」
 といって、膝をすすめ、
「ねえ、阿古十郎さん、……古いころ、……たとえば、鎌倉時代にでも、こんな前例《ためし》がありましたろうか」
 顎十郎、空嘯《うそ》ぶいて、
「はて、いっこうに聴かねえの」
「こりゃア情ない。……前例はねえとしても、では、なにかあなたのお見こみがございましょうか」
「お見こみなら、少々ある」
 ひょろ松は思わず乗りだして、
「へえ、それは」
「間もなく、御府内で、どえらいことが起る」

   大黒《だいこく》

 大久保彦左衛門以来という、江戸ではもう名物のひとつになっている名代《なだい》の強情おやじ、しょんべん組の森川庄兵衛が、居間の文机のうえにうつむきこんで、なにかしらん、わき目もふらずこつこつやっているところへ、れいの通り案内も乞わずにヒョロリと入ってきたのが顎十郎。
 懐手をしたまま閾《しき
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