ッ……すると、江戸の悪者どもは……」
 まっ蒼になって、ブルブル慄えていたが、急に狂気したように、両手で顎十郎の腕を鷲づかみにすると、
「そ、それで……その金は?」
「きのう、江戸を出たはずだ」
「げッ、……それじゃア、もう間にあいませんか」
「なんともいえないが、やるだけやってみるより、しょうがあるまい。……ところで、ひょろ松、ちょっとむかいの料理屋へ行って、きょう三十人ばかりで楊弓結改《ようきゅうけっかい》の会をやりたいのだが、席があるかときいて来い」
 ひょろ松は無我夢中のていで水茶屋から出ていったが、間もなくもどってきて、
「きょうは、一月寺《ぼろんじ》の一節切《ひとよぎり》の会があるので、夕方まで売切れになっているということでございます」
 顎十郎はうなずいて、
「うむ、そうか、それでいいのだ」
 ひょろ松は、席にもいたたまれぬように焦だって、
「それはそうと、阿古十郎さん、こんな水茶屋なんぞでのっそりしていていいのですか。……あっしはもう……」
 立ちかかるのを、顎十郎は腕をとってひきとめ、
「まア、あわてるな。……すこし、落着いてむかいの料理屋の看板を見ろ。なんと書いてあ
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