ありませんか。……昼日なか、狐につままれたわけでもありますめえね。……いってえ、どうしたというわけなんです」
顎十郎は、依然として無言のまま、先に立って弥太堀から横丁へ折れこみ、大きな料理屋のすじむかいの水茶屋《みずぢゃや》[#ルビの「みずぢゃや」は底本では「みずじゃや」]の中へ入ってゆく。
ひょろ松はしょうことなしにそのあとについてゆくと、顎十郎は、ずっと奥まった葭簀《よしず》のかげの床几にかけていて、ひょろ松がそのそばへひきならんで坐るよりはやく、囁くような声で、
「このへんに番所があるか……駕籠屋があるか」
いつもの顎十郎と様子がちがう。
ひょろ松は、けおされたようになって、思わずこれも小声になり、
「あの火の見の下が辻番で、駕籠屋も、つい近所にございます」
顎十郎は鼻孔《はな》をほじりながら、うっそりと小屋のうちそとを見まわしてから、
「……なア、ひょろ松、御府内の悪者《わる》は、その後まだ鳴りをひそめているだろう、それにちがいなかろう」
「へえ、その通りでございます」
「お前に、まだ、そのわけがわからねえか」
「………」
「それは、鳴りをひそめているんじゃない、江戸
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