っしゃいますねえ。……そ、それならば、十四挺」
「こりゃア、けぶだ。……あっしは部屋の窓からなにげなく数えたんだが、帰って来たときは、もっと多かったようだ」
 とほんとした顔で、
「よくわかりませんねえ。……い、いったい、いつのこってす」
「そうさ、ちょうど六ツ半ごろのこってさ」
 シャッキリとなって、
「そ、それならば、よく覚えております。……その節、手前、浄るりをうなっておった」
「あっしの数えたところでは、たしかに二十四挺だったように思うんですがねえ」
「さ、さよう。……いかにも、二十四挺。なぜかと言いますと、そのおり二十四孝をさらっておりましてね、それで、はっきり覚えております。ひッ」
「たしかに、二十四挺ですかい」
「たしかに、二十四挺。門帳をお見せしてもよろしい。たしかに。ええ、たしか、たしか……」
 とうとう、つぶれてしまったのを素っ気なく見すてて、奥まった衝立《ついたて》のうしろへ入りこみ、紙と筆を借りて、なにかこまごまと書きつけ、封をして、それを胴巻の中へ落しこむと居酒屋を出ていった。
 それから小半刻。藤波のすがたが御徒士長屋のうしろのほうへ現れる。ソロソロと駕籠部屋のあるほうへ進んで行って、長いあいだ、軒下の闇の中へしゃがんでいたが、あたりにひとの気配のないのを見さだめると、ツと曳戸のそばへ行く。腰にはさんでいた手拭いを天水桶にひたしてしめりをくれると、それを角錠《かくじょう》の受《うけ》に巻きつける。ひとひねり。ふたひねり。ガクリと錠がおちる。曳戸に手をかけてひきあけようとすると、いないはずの闇の中から、ふたりの中間が飛びだして、むんずと藤波の襟がみをつかんだ。
「おッ、こいつ、駕籠部屋の錠を」
 ひとりは中間部屋のほうへむかって大声に叫び立てる。
 たちまち、バラバラと十二三人走りだして来て、グルリと四方を取巻いてしまった。
 しまったと思ったが、なまじいジタバタして自分の身分が露見すると、とうてい、ただではすまないから、観念して突っ立っていると、ガヤガヤを押しわけて割りこんで来たのが、顎十郎。
 今まで中間部屋で寝っころがっていたものと見え、ねぼけ眼《まなこ》を見ひらいて、藤波の顔を月の光にすかして眺めていたが、感心したように長い顎をふりふり、
「駕籠部屋をねらうとは、変ったぬすっともあるもんだ。後学のために、よく面を見てやろう。部屋へひっぱって行け」
「ようございます」
 中間どもはおもしろがって、手どり足とり、藤波を部屋へひきずりこんで、大の字におさえつける。
 顎十郎は、のんびりした声で、
「なにか気障なものを持っているかも知れねえ、すッ裸にひんむいてしまえ」
 やれやれ、で、寄ってたかって裸にする。
 ひとりが胴巻から先刻の手紙をひきずりだし、
「先生、こんなものが」
 うけとって眺め、
「なんだ……池さまへ、藤より……。大師流《だいしりゅう》のいい手蹟《て》だ。こいつ文づかいもすると見える。とても陸尺なんぞの書ける字じゃねえ」
 ドッと笑って、
「それはそうと、こいつの始末はどうします」
「かまわねえから、ぐるぐる巻にして隅っこへころがしておけ。朝になったら百叩きにして放してやろう」
 蓑虫《みのむし》のようにグルグル巻にされたのを見すますと、
「よし、お前らは、しばらくあっちへ行っていろ。俺は、ちょっとこいつに意見をしてやる」
 陸尺どもは、先生はあいかわらず酔狂《すいきょう》だと口々に囃しながら、部屋つづきへひきあげて行く。
 顎十郎は、板の間にころがされて眼をとじている藤波のそばにしゃがみこみ、
「ときに、藤波さん、寝ごこちはどうです。まんざら悪くもないでしょう」
 藤波はくやしそうに、キリッと歯噛みをする。
 顎十郎は、へらへら笑いだして、
「まア、そう、ご立腹なさるな。……どういう御縁か知らないが、よく不思議なところで落ちあいますな。御同慶のいたりと言いたいところだが、実をいうと、すこし、小うるさい。……今までのところなら、大して邪魔にならないが、今度は、南か北かという鍔ぜりあい。役所の格づけがきまろうという大切な瀬戸ぎわだから、あなたにチョコチョコ這いだされると、手前のほうは大きに迷惑をする。すみませんが、明日の朝までここへころがしておきますから、どうか、そう思ってください」
 藤波は、もう観念したか返事もしない。
 顎十郎は、依然としてのどかな声で、
「しかしね、藤波さん。私もあまり野暮《やぼ》なことはしたくない。この手紙だけは池田甲斐守にとどけてあげてもいいのですが……」
「………」
「私も男だから、つまらぬ嘘はつきません、どうします」
「………」
「それとも、破いてしまいましょうか」
「………」
「お返事がないところを見ると、破ってもいいのですな」
 藤波は痩せほそったような声で、
「とどけて、ください。子刻《ここのつ》ごろ、下ッ引が部屋の窓下へ来ますから、どうかそれに、……渡してやって……」
 藤波の眼じりから頬のほうへ、ツウとくやし涙がつたわった。

   切腹

 百叩きにこそされなかったが、さんざん中間どものなぶりものにされて、門をつきだされたのが朝の六ツ半。
 煮えくりかえるような胸をおさえて、空脛《からすね》を風に吹かせながら、三年町《さんねんちょう》の通りを歩いて行くと、横丁から小走りに走りだして来た、せんぶりの千太。頭から湯気を立てながら、
「おお、旦那、ちょうど、よかった。……それで、お調べのほうはどうでした。まるっきり、あてちがいだったでしょう」
 藤波は苦りきって、
「なにを言う。……大塚本伝寺御代参の乗物。……出たときが十四挺で、帰ったときが二十四挺。十挺だけ多く入っている。もう、間違いない」
 千太は上の空に聞きながして、
「それはそうと、その条は、まだ殿さまへはお復命《こたえ》になっていねえでしょうね」
「いや、逐一したためて、昨夜おそく差しだしておいた。今ごろはちょうどお手もとへ届いているころだ」
 千太は眼の色をかえて、
「げッ、そ、それは、大ごとだ」
「なにが、どうしたと」
 千太は手を泳がせて、
「ま、ま、まるッきりの見当ちがい。……十三人の腰元は、どこの木戸も出ていない。実は、安珍坂よりの不浄門からお屋敷へ入って、大井の局に隠れているんでございます」
 藤波はサッと血の気をなくして、
「それを、どこから聞きこんだ」
「へえ、あまり寒いので、稲荷下《いなりした》の濁酒屋《もろはくや》で一杯やっていますと、入って来たのが、陸尺が職人に化けたような妙な二人づれ。……聞くともなしに聞いていると、チラチラ気がかりなセリフがまじるから、思い切って頭からおどしつけて見ますと、いまもうしあげたような話。……心法寺原へ空《から》乗物をかついで行ってこわしたのも、そいつらの仕業だったんでございます」
「しかし、鍋島の乗物の数が……」
「だから、それも大間違い。……ふたりを辻番所へあずけて、すぐ赤坂御門へすっとんで行き、門帳をくりながら手きびしく突っこんで見ると、……いや、どうも、まんの悪いときはしょうがないもの。……本伝寺からの帰りの十四挺と、赤坂今井谷へ行った、やはり鍋島さまの十挺の駕籠が、ちょうど御門前で落ちあい、両方あわせて、『鍋島様御内、〆二十四挺』というわけ。誰の間違いというわけでもない。つまり、こちらの運が悪かった。……今井谷は、眼と鼻のあいだ。すぐ寺へ飛んでいって調べて見ると、鍋島さまのご代参の女乗物はいかにも十挺。寺を出たのが、六ツ少し前……」
 藤波は、ヨロヨロと二三歩うしろによろめくと、霜柱の立った土堤へべッたりと腰をおろして、両手で顔をおおってしまった。
 せんぶりの千太は、肩で大息をつきながら、
「……旦那、旦那、あなたひとりのことじゃない。殿さまが大恥をかく。……ひともあろうに鍋島閑叟侯をこんどの犯人だと正面きって訴人《そにん》をし、これを老中列座のなかで披露したそのあとで、まるっきりの間違い、見当ちがいだなんてえことになったら、とても、お役御免どころではすまない。軽く行って閉門《へいもん》、悪くすると腹切り。……こんなところにへたりこんでいる場合じゃありません。刻限はまだ六ツ半を少しまわったばかり。ことによったらまだ間にあうかもしれねえ。お城へおあがりにならぬうちに、さアさア少しも早く……」
 藤波は、蒼白い頬に紅をはき、狂乱したような眼つきで立ちあがると、
「そうだ。こんなことをしちゃいられねえ。俺はいいが、……俺はいいが、……なんとかして、殿様を……」
 囈言《うわごと》のように口走りながら、旋風のように駈け出した。
 佐久間町《さくまちょう》の辻で三枚駕籠をやとい宙を飛んで数寄屋橋うちのお役宅へ乗りつけると、甲斐守はついさっき本丸へおあがりになったというところ。
 もういけない。
 藤波は、呟くような声でお帰りを待たしていただきたいと言って脇書院《わきしょいん》へ通る。お下城《さがり》になった顔をひと眼見てここで腹を切る覚悟。
 万感《ばんかん》胸に迫って、むしろなんの感慨もないにひとしい。端座してしずかに庭のほうを眺めやると、築山《つきやま》の下に大きな白膠木《ぬるで》のもみじがあって、風が吹くたびにヒラヒラと枯葉を飛ばす。さながら、自分の最期を見ているようである。
 それからふた刻。……正午近いころになって、ただいまお下城になったというしらせ。
 驕慢で通してきた俺だ。せめて、最後もそれらしく、と突兀《とっこつ》と肩をそびやかして控えているところへ、甲斐守がかるがるとした足どりで入って来て、座にもつかぬうちに、
「おお、藤波か。さすがは江戸一の折紙つき。……今度はよくぞやった。褒めてとらすぞ」
 春の海のような喜色を満面にたたえ、はずむように褥にすわり、
「今朝の復命書《おこたえがき》、さっそく阿部さまにご披露した。……木戸を出ぬなら、木戸うちにいるのでなければならぬ。木戸うちにいるとすれば、紀州さまの屋敷うちより外にないはず。十二の門を通らぬならば、十三番目の門から入ったのであろう。十三番目の門とは、すなわち不浄門。そこからひそかに運び入れ、おのれの局に隠した。理由は、お催しものの急な模様がえ。芝居くらべでは、しょせん、勝味はないと見こみ、せっぱつまって考えだしたあさはかな神隠し……とは、実にあっぱれな明察。……北町奉行からもほぼ同様の復命書がとどいたが、そちのほうが二刻ばかり早かった。……阿部さまもことごとくご感悦。至極とおおせられたぞ。……うれしいな。そちも喜べ」
 サラリと白扇をひらいて、それを高くかざした。
 畳が四方からまくれあがって来て、その中に自分がつつみこまれるような気がし、藤波は、気が遠くなって、がっくりと、胸の上に頭をたれた。

 ひょろ松の部屋に寝ころがって、例によって顎十郎のむだ話。
「草原はいちめんの霜柱なのに、乗物には霜がかかったあとがない。はは、こりゃア、今朝、木戸がひらくと同時にここへ運んで来たのだとわかった。……なんでわざわざこんなことをしやがるんだろう。……乗物をみると、支離滅裂《しりめつれつ》にたたっこわしてある。人間わざでないようなこわし方だ。つまり、どうでも、神隠しと見せたいのだ。……ところで、腑に落ちないのが、大井の態度。本来ならば、これは染岡の仕業にちがいないと口でもとがらして騒ぎ立てなければならぬはずなのに、お祖師様とかご示験とか、妙に霞《かすみ》のかかったようなことだけしか言わない。……なにかアヤがあるな、で、市村座へ行って調べて見るてえと、局《つぼね》の芝居くらべがあるから十五日朝まで衣裳一式ととのえろというご下命があったとぬかす。……これで、すっかり見とおしがついた。……とかく女びいきのお前を前において言うわけではないが、女ってえのは細かいことをするもんだなア。いや、恐れ入ったよ。……お祖師様がにらんで、帰りがこわくて、それから神隠し。……とんまな野郎なんかにゃアちょっと企らめねえ芸だ」
 ひょろ松は、ひどく照れて、
「いくらでも、おなぶりなさ
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