ぼけている。
今までは北町奉行所などはあるかなしかの存在。番所といえば南のことにきまっていたくらいなのに、この男が北へあらわれてから、急にこちらの旗色が悪くなった。江戸一と折紙をつけられた藤波の肩書に、これでもう三四度も泥をぬられた。
甲斐守はなんとも言えぬ苦味のある微笑をうかべながら、ジロリと藤波の涙を眺め、
「聞くところによれば、数多い、江戸じゅうの陸尺、中間、馬丁などをことごとく身内にひきつけ、それらを手足のように自在に働かすそうな。多寡が番所の帳面繰だというに、ふしぎな男もあればあるもの」
藤波は、キッと顔をふりむけると、嘲《あざけ》るような語気で、
「むこうが中間、小者なら、こちらは、同心、加役《かやく》。……定廻り、隠密、無足《むそく》、諜者《ちょうじゃ》。……下ッ引まであわせると五百二十人。藤波は、死んでしまったわけじゃございません」
「ふむ。……では、明後日の朝までに、きっと事をわけるか」
「かならず、しおうせてごらんにいれます」
「もし、しそんじたら」
藤波は、驕慢な眼ざしで甲斐守の眼を見かえし、
「生きちゃアおりません」
霜の朝
寒い朝で、ようや
前へ
次へ
全32ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング