るようなことになったら、それこそ一代の不面目《ふめんもく》。月番奉行の役柄の手前、のめのめと職にとどまっているわけにはゆかぬ、お役御免をねがうつもり。……どうだ、藤波、勝算《しょうさん》があるか。……それとも、また、北の顎十郎にシテやられるか」
 藤波は返事をしない。削《そ》ぎ立てたようなトゲトゲした顔を狷介《けんかい》にふり立て、けわしく眼を光らせながら、そっぽをむいている。
 名人気質とでもいうのか、辛辣で傲慢で変屈で、あまりひとに好かれぬ男。三百六十五日、機嫌のいい日はないのだが、とりわけこのごろは虫のいどころが悪いらしい。
 北町奉行所の与力筆頭、森川庄兵衛の甥の仙波阿古十郎。出来そこないの冬瓜《とうがん》のような方図《ほうず》もない顎をぶらさげ、白痴《こけ》か薄のろかと思われるような間のびのした顔をしているくせに、感がいいというのか、どんな入りくんだアヤでも、なんでもないようにスラスラと解く。もう一歩というところで、いつもひと足さきに出しぬいてしまう。それに、やりかたが憎い。自分の手柄を一切合財《いっさいがっさい》、叔父の庄兵衛になすりつけ、どこを風が吹くといったようにすっと
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