れる新那智流の小太刀の名手《つかいて》。しばしば諸侯から所望《しょもう》されたほどの名誉のものどもで、毎年十月十五日の紀州侯の誕生日には、おなじく御休息《ごきゅうそく》の染岡《そめおか》の腰元と武芸の試合を御覧にいれることになっているが、江戸の下町からあがった染岡の腰元どもの手にあうはずがない。毎年、大井の組が勝をとって、お褒めにあずかってきた。
 その恒例の十五日は明後日にせまっている。局《つぼね》あらそいというのはよくあることだから染岡が大井の寵をねたみ、相手の力をそぐために、じぶんの局へでも引きこんで監禁《おしこ》めてあるのではないかと思い、奥年寄の老女に命じて、ひそかに染岡の局をうかがわせたが、これは無駄骨におわった。東門、巽門《たつみもん》、紀伊国坂門《きのくにざかもん》、鮫橋門《さめがはしもん》と、はじめから、十二のどの門も通っていないのである。
 こうなれば、もう神隠しにでもあったか、大地に吸いこまれてでもしまったかと思うよりほかはない。あっけにとられて顔を見あわせるばかりだった。
 もっとも、あとになって考えると、この日、ちょっと妙なことがあった。
 本迹枢要《ほんじゃ
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