「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]以下〆二十二挺』と、ちゃんと記帳されたのに、正門を入ったときは、それが、わずか九挺になっていた。……ところで、その十三挺の乗物はこの袋の中から出ていないのである。
 麻布善福寺《あざぶぜんぷくじ》のヒュースケン襲撃事件があって以来、にわかに町木戸がふやされ、暮六ツを合図に木戸をとざし、それ以後の通行はいちいち記帳されることになっている。
 長井の赤土山について安珍坂《あんちんざか》をおりたとすると、青山一丁目|権田原《ごんだわら》の木戸。
 お濠にそって紀伊国坂をくだったとして、そこから外桜田《そとさくらだ》へぬけるには、喰違御門か赤坂御門。
 溜池のほうへ行くには赤坂見附の木戸。
 赤坂|表町《おもてまち》へは弾正坂《だんじょうざか》の辻番所。
 どんなことがあっても、いずれかの桝形《ますがた》か木戸で誰何《すいか》され、お改めをうけなければならぬはずなのに、乗物にも徒歩《かち》にも、それがぜんぜん通っていない。くどいようだが、木戸うちからは出ていないのである。
 消えうせた十三人の腰元のうち七人は、ひと口に『那智衆《なちしゅう》』といわ
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