事態がさしせまっているものと思われる。
 きょうの夕刻、お曲輪《くるわ》にちかい四谷見附附近で、なんとも解《げ》しかねるような奇異な事件が起った。
 十月十三日は、浅草どぶ店《だな》の長遠寺《ちょうえんじ》の御影供日《おめいくび》なので、紀州侯徳川|茂承《もちつぐ》の愛妾、お中※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ちゅうろう》の大井《おおい》は、例年どおり御後室《ごこうしつ》の代参をすませると、総黒漆《そうくろうるし》の乗物をつらねて猿若町《さるわかまち》の市村座へまわり、申刻《ななつ》(午後四時)まで芝居を見物し、飯田町|魚板《まないた》橋から中坂をのぼり、暮六ツ(午後六時)すこしすぎに四谷御門、外糀町口《そとこうじまちぐち》の木戸(四谷見附交叉点)を通ってお上屋敷(いまの赤坂離宮のある地域)の御正門へ入ったが、外糀町口の木戸から正門までのわずか五六町のあいだ、――長井《ながい》の山とお濠《ほり》と見附と木戸でかこまれた袋のような中で、十三人の腰元が乗物もろとも煙のように消えうせてしまった。
 番所の控えには、『酉刻《むつ》上刻、紀州様御内、御中※[#「藹」の
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