戸一の折紙つき。……今度はよくぞやった。褒めてとらすぞ」
 春の海のような喜色を満面にたたえ、はずむように褥にすわり、
「今朝の復命書《おこたえがき》、さっそく阿部さまにご披露した。……木戸を出ぬなら、木戸うちにいるのでなければならぬ。木戸うちにいるとすれば、紀州さまの屋敷うちより外にないはず。十二の門を通らぬならば、十三番目の門から入ったのであろう。十三番目の門とは、すなわち不浄門。そこからひそかに運び入れ、おのれの局に隠した。理由は、お催しものの急な模様がえ。芝居くらべでは、しょせん、勝味はないと見こみ、せっぱつまって考えだしたあさはかな神隠し……とは、実にあっぱれな明察。……北町奉行からもほぼ同様の復命書がとどいたが、そちのほうが二刻ばかり早かった。……阿部さまもことごとくご感悦。至極とおおせられたぞ。……うれしいな。そちも喜べ」
 サラリと白扇をひらいて、それを高くかざした。
 畳が四方からまくれあがって来て、その中に自分がつつみこまれるような気がし、藤波は、気が遠くなって、がっくりと、胸の上に頭をたれた。

 ひょろ松の部屋に寝ころがって、例によって顎十郎のむだ話。
「草原は
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